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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.04.15
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カテゴリ:ヒラカワの日常
なんだか、毎日があわただしい。
こういうときはダブルブッキングのリスクが高まる。危険である。
同時に、面白いのはこういったときに思わぬシンクロニシティが頻発する。
それは、偶然の一致というものではおそらくない。
目に見えない必然が必ずどこかで後押ししているものである。

昨日は、ペットサウンズにまつわる、シンクロニシティについて書いたばかりだが、
本日、ウチダくんのブログを見て驚いた。彼はこう書いている。

「昨日、送稿した教育についてのエッセイの最後を私はこんなふうに結んだ。
教育再生のための方法として私から提言できることは一つだけである。それは教育現場か
ら消費文化のイデオロギーを一掃すること。さしあたり、ビジネスのワーディングで教育
を語る人間(メディアで教育を語っている人間のおよそ半数はそうである)にすみやかに
ご退場願うことである。もちろん、誰もそう簡単にはご退場くださらないであろうから、
私はこうして機会あるごとに懇願しているのである。」

驚いたというのは、俺もまた、三日前にみずほ総研の雑誌に教育について
エッセイを書き送ったばかりだったからである。
しかも、内容まで酷似している。
俺はそのエッセイをこう結んでいる。

「教育の現場に、ビジネスの等価交換的な価値観を導入してゆけば、利につながらない学
問は必ず貶められることになる。さらに、教育者に最も大切な資質は、みずからの知見を
生徒に与えるという贈与の精神であるはずである。もし、現在教育の現場に問題があると
すれば、それは教育を語る言葉づかいを喪失しているということであり、そのことに多く
の人が気づいていないということである。」

まあ、ウチダくんとこのような形でシンクロしてしまうのは、
あまり珍しいことではない。
よくあることだといったほうがよい。
しかし、ほとんど同じ日に、同じ言葉づかいで教育
の問題を考えていたということに関しては、
単に驚いていること以上の問題があると思った方がよい。
アゲインでの対談以来、ウチダくんとはお会いしていないし、
このところ、彼と教育問題に関して語り合ったという記憶は無い。
それにもかかわらず、同じときに、同じように、教育を語るワーディングを問題にしている。
それは、ある意味で、それだけ深く、ビジネスのワーディングが
俺たちの思考の全般を浸食してきており、それがほとん
どある分水嶺を超えたということを示している。

では、ビジネスの言葉とは何か。
それについて、先のエッセイに俺はこう書いている。
「経営の問題、あるいはビジネス上の問題とは、
利潤の確保という現実的、即物的な目標達成のための処方箋を書き、
それを実行してゆくことで解決されるべき問題である。
ビジネスとはすぐれて、パフォーマティブ(遂行的)な課題なのである。
だからこそ、効率が重視され、競争優位が戦略に組み込まれる。
同時にそれは、人間の諸活動のうちでは限定的なものでもある。」

俺がここで言いたかったことは、ビジネスの言葉は、空しいとか、無効だという
ようなことではない。
ビジネスの言葉は、人間の活動を支えている
重要なコミュニケーションツールである。
しかし、さらに重要なことは、最後の一行に集約されている。
ビジネスは人間の活動のうちでも重要な活動であるが、
それは、人間の諸活動のうちでは限定的なものであるということである。

ひとつの言葉で、全世界を凍りつかせるために、
あるいは、世界の氷を溶解するために詩の言葉は存在しているかもしれない。
しかし、ビジネスの言葉は、ただ即物的な課題に対して
合理的な説明をすることができるだけである。
それを知ることが、ビジネスの倫理というものであり、
ビジネスの言葉で教育を語るということにあやうさがあるとすれば、
それは、この倫理感の喪失ということに他ならない。







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最終更新日  2008.04.15 16:06:07
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