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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.04.19
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カテゴリ:ヒラカワの日常
まるが俺のところに来てから死ぬまで四年半であった。
ドッグイヤーなら三十年余ということになるらしい。
感傷的になっているわけではないのだが、今日のように日差しの中にいると、
今年の夏はまるがいないのかと思う。
機縁があって、谷川俊太郎の詩を再読していたからだろう。
 メゾンラフィットの夏
 淀の夏
 ウィリアムスバーグの夏
 オランの夏
 そして僕は考える
 人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと
              (「二十億光年の孤独」所収『ネロ』より)
実は、俺は谷川俊太郎の熱心な読者というわけではなかった。
荒地派の詩は、電車の中でも、喫茶店のテーブルでも、便所の中でも、
読み耽ったものであるが、谷川俊太郎は視界の隅っこで輝いている星座のようで、
美しくはあったが、まぶし過ぎて凝視できないといったところだった。

何十年ぶりかで、谷川の詩集を開き、
そこに書かれている言葉を目で追う。
以前はよくわからなかったことが、今は良く飲み込める。
いや、以前から難しい比喩や、レトリックで書く詩人ではなかった。
受験勉強でもするように、詩の勉強をしているものにとっては、その分かり易さこそが
躓きの石であった。
比喩やレトリックなら、勉強すれば読み解くことができるだろうが、
飾りの無い、素っ裸の赤ん坊のような柔らかい詩句は、
同調するか、通り過ぎることしかできない。

このたび、谷川の詩を再読し、試論を読み、
そこに、微細な工夫や、思いもよらなかった比喩が潜んでいることを
知ることになった。
そうか、メドンラフィットの夏とは、ジャック・チボーが過ごしたフランスの夏のことか。
オランの夏とは、カミュが描いたペストの、あのアフリカの夏のことか。
そして、実際にまるの死を体験してみて
これらの夏が、自分にも繋がっていることを知ることになったのである。
そうやって、人は詩というものと出会うことがある。
最初に、この詩に触れてから、四十年後が経過している。
来週、その詩人、谷川俊太郎さんとラジオの街でお会いする。




以下は、ラジオデイズコラムからの転載。

『飼い犬の遺言』


「犬を飼おうと思うが、どうだろうか」何となく発した一言は、食卓での会話ではなく、オフィスでの管理部員たちとの世間話の中においてであった。会社で犬を飼おうというのである。駄目ですよ、無理ですよ、という答えが返ってくるかと思ったら、意外にも社員たちは歓声を上げたのである。それが、私と駄犬まるの不思議な道行きの発端だった。

 それからほどなくして、生まれたばかりの真っ黒いラブラドール犬がダンボールの箱に入って会社にやってきた。よちよちと歩くぬいぐるみのようなその生き物が現れたときには、社員全員が息を飲み、拍手が起こった。何でも両親はアメリカのチャンピオンなんだそうである。血統書つきである。代金不要、しかもとんでもない器量よし。
 数日は、私が家に持ち帰ってその犬の面倒を見ていた。
 ところが、である。
「会社でラブラドール・レトリバーを飼うなんて、無謀だと、捨て犬救助のボランティアの方に言われました。犬にもかわいそうだって。レトリバーは、いつもそばに人がいられるような環境で、走り回れるような場所がないと神経衰弱になってしまうそうですよ。」奇特なボランティアの方は金木さんという方で、その方面では有名な方であった。
 確かに私の会社のオフィスは秋葉原の電気街の真ん中にあり、とてもではないが運動量の多い大型犬を飼うような場所ではなかった。週末に飼い犬禁止の私のマンションにつれて帰るわけにもいかない。黒いちび犬は、丸い目で私を見つめている。どうしたものかと唸っていると、金木さんからひとつのアイデアが出された。
 彼女の家には、保健所から救い出した雑種犬がおり、レトリバーは別の引き取り手を見つけるので、その雑種犬と交換したらどうかというのである。

 そんないきさつがあって、まるが会社にやってきた。レトリバーの子犬は、築地の刑事さんが引き取り手となった。(二年後に送られてきた写真を見たら、すでに面影は消えて堂々たる大型犬になっていた。)さて、アメリカズチャンピオンの令嬢と交換されてやってきたのは、人の目を直視できないおどおどした冴えない雑種犬であった。何処をうろついていたのか、痩せていて、毛並みはあまりよくない。年齢不詳。ミッキーマウスのような黒柴犬模様だが、耳は垂れている。いや、垂れているというよりは、グライダーの羽のように水平に広がっている。無様だが、歩くたびにそれがひらひらと揺れる姿は愛嬌があった。特徴といえばそれくらいのもので、いつも伏目がちで何かに怯えているようでもあった。聞けば、保健所で、あと二日後に処分される運命だったところを、金木さんが救い出し、里親を探していたということであった。
 出会った最初の頃は、目を合わせようとすると顔を背けた。助手席に乗せると、立ったまま身体を硬直させている。声は全く出さない。どこか、人間を避けている風でもあった。虐待という言葉が浮かんだ。私は当分の間、こいつと一緒に会社に寝泊りすることにした。どうも、目が離せないような心持ちになってしまったのである。時折自宅へ連れ帰ったが、自宅マンションは飼い犬禁止なので、夜中にそっと自室へ入り、早朝は車に乗せて家を出るという生活であった。どこかに留め置くことができなかったので、いつでも、どこへでもこいつを連れて回るということになった。客先へ回るときも連れて行き、商談の間は車で待たせた。平日は会社に泊まり、休日は広尾にある、ドッグ入店可の喫茶店で何時間も過ごすという変則的な日常であった。この難民生活が三ヶ月続いた。人と目を合わせなかったまるが、私には徐々に心を開くようになり、散歩をねだったり、食べ物を要求するようになった。何より、多摩川の川原を走るのが大好きで、尻尾を振って跳ねるように駆ける姿を見ていると、こちらまでうれしくなったものである。「元気になりやがった・・・」

 そして四年半が経過した。昨晩、夜中の一時二十分まるが死んだ。唐突な死であった。一週間前あたりから急に歩行が覚束なくなり、昨晩八時ごろ、三宿の病院へ運び込んだときには自分の足で立てない状態で、荒い呼吸がお腹を波打たせていた。日曜日で、休診日であったが、外出先から急遽戻ってくれた先生は、白衣に着替える閑も無くすぐに点滴を開始し、検査をしてくれた。ひどい貧血状態で、体内で出血している様子であった。しばらく小康状態となったが、時折、悲鳴のような泣き声を出して、手足をばたつかせた。動かすこともできず、とりあえず一日は、入院して様子をみようということになった。夜十時ごろ先生から電話があった。大量に吐血したという。その後は苦しがる力も無くなって脈が遅くなり、月曜の朝を迎えることは無かった。多臓器不全ということであった。
 享年、不明。野良犬らしい死に方であった。

 「始めより今にいたるまで、曾て端首無し」空海の『三教指帰(さんごうしいき)』の言葉である。われわれは、何処から来て何処に行くのかを知ることはできない。端首は、人間の知性の埒外に朦朧と霞んでいる。まると私には、そんなに、哲学的な話は、似合わないが、まるもまた、何処から来たのか分からない野良犬であった。今にして思えば、不思議な機縁が重なって、私のところへやってきた。私は、生まれも、育ちも、年齢もわからない野良犬をハッチバックに乗せて東京の町を放浪し、会社に寝泊りした。食うことと、走ることだけに貪欲な、取り柄のない犬であったが、ただひとつだけ美点があった。それは底抜けに優しいということであった。どんな犬に寄せていっても、吼えたり、噛みついたりすることはなかった。吼える犬の前を通るときは、見て見ぬ振りをしていた。噛みつかれたこともあったが、反撃することはなかった。それでも、どんな犬にでも、誰にでも寄って行って頭をなでられるとすぐに踵を返して帰ってきた。まるが吼える声を聴いたのは四年半で数えるほどしかない。
 優しさとは何だろう。レイモンド・チャンドラーではないが、強くなければ優しくはなれないというのは尤もな気がする。しかし、まるに限っていえば、どこをどう見積もっても強い犬ではなかった。弱い犬ほどよく吼えると言うが、まるは臆病者だが吼えることもなかった。カウリスマキの映画の主人公のように、ハードボイルドとは無縁な、臆病を絵に描いたような負け犬ぶりであった。そして、そのことと、優しさは表裏しているように見えた。臆病なものには、臆病者の領分というものがある。征服欲や上昇志向などは、はなから断念している。そんな風であった。それはこの犬の意図せぬ美徳であると言ってもよいと思えた。わたし(たち)は、どこかで勇気のある強い男になりたいと思って生きている。しかし、もし臆病であるがゆえに、優しさを獲得できるのだとすれば、勇気など必要ないのかもしれない。臆病もまた力になりうる。それが、まるの遺言であったと思う。






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最終更新日  2008.04.19 22:08:26
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