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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2008.09.16
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カテゴリ:ヒラカワの日常
リーマン・ブラザースが、チャプターイレブンの適用を申請のニュース。
テレビも新聞も大騒ぎである。
だからなんだというのだ。(と、前にも言ったけど)
金で金を売り買いして肥えてきた会社が、
金で躓き、金に行き詰ったという話である。
勿論、世界は混乱するだろう。
一般消費者も、景気の後退の影響を受けるだろう。
だが、この混乱はモノやサービスを媒介しない
欲得と欲得の交換が巨大過ぎるビジネスになったときにすでに
はじまっていたと思うべきなのだ。
この度の米国経済の破綻は、
信用の収縮と呼ぶべきものではなく、行き過ぎたお金への信仰が、
欲望が再生産を繰り返して作り上げた幻影に対するものでしかなかった
ということが露呈したに過ぎない。
最初から信用というようなものは無かった。
信仰は、幻影には実体がないと分かった瞬間に
一気に萎む。

何度かアメリカを往復し、仕事場をつくり、その社会を見てきた印象を言えば、
この社会はその作り方の根本のところでどこか間違ったものを含んでおり、
いずれそのほころびは目に見える形でもっとはっきりとした
無残な輪郭をあらわすだろうということだった。
すでに、その兆しは街のいたるところに見え隠れしていたように思う。
無理な戦争を仕掛けようが、
世界の富を簒奪するシステムを遂行しようが、
政治的・経済的覇権を正当化し、維持するためには
ひとつの擬制(フィクション)が必要だったということかもしれない。
アメリカの正義は、世界の正義であり、人類の利益に資するものだという
擬制がそれである。
彼らがその擬制を補完するために掲げた、自由も、チャンスも、平和も
まさにその社会の根本に、原理的に欠けているがゆえに、その欠落を隠蔽するために
設えられた「正義」のように見える。
「フェミニズム」は女性蔑視の裏返しであり、
「自由」とはまさに先住民の犠牲の上に築かれた
征服者を正当化する方便であり、
「チャンス」は社会の下層に充満する
不満をなだめるために設えられた決して実現しない夢(ドリーム)を
指し示すサインのようであった。
擬制の仕上げは、金こそが世界を支配する万能のパワーであり、
人は金によって幸福を得る事ができるという信憑であった。
アメリカン・ドリームとは、一夜にして大金持ちになるという
ことであり、アメリカとは、
そのチャンスを平等に分け与える世界でもっとも開かれた場所であるという信憑。

勿論、俺はそういった擬制(フィクション)の上に市民社会というものが
形成されることを否定はしない。
多かれ少なかれ社会というものは、ひとつの擬制(フィクション)の上でしか
運営してゆくことはできないからだ。
デモクラシーもひとつの擬制であり、自由主義もまた
ひとつの擬制だろう。完全に民主的な国家も、真に自由を享受できる
国家も現実には存在していない。
共同体を統合してゆくためには、どこかにそのメンバーが
共有できる信憑の対象が必要であり、それは擬制という形式を取らざるを得ないだろう。
人間は誰もが自分の欲得を求めて行動してよい。それが、社会を発展させる原動力になる。
秩序は市場が作り出す。だから、人々は貪欲に欲望を解放してよい。
お金はパワーである、人間がひとりで生きてゆくにはパワーが必要である。
そう思うのはいい。(俺もそう思っている。)
だが、同時にお金が行使できるパワーは極めて限定的なものであり、
それを万能だと思うことは恥ずかしいことなのだという認識を
お金が重要であると考える同じ分だけ帯同すべきなのである。
擬制は、自らそれが擬制であることを知り、もっと控えめであるべきなのだ。

十年も前から、いやもっとずっと以前から
擬制でしかない価値を、集団的に正義と読み替えたことによって、
この擬制の崩壊ははじまっていたというべきだろう。
ただ、この崩壊は、俺が思っていたよりも速い速度で、
進行している。

サブ・プライムローンの破綻、
住宅公庫・公社の破綻と政府による救済、
この度のリーマン倒産と、メリル・リンチの経営破綻と買収、
この一連の出来事を、
日本の不良債権処理問題との対比で
語る人がいる。
(それも、アメリカは「日本と違って」処理が迅速なので
日本の不良債権処理にかかった期間よりも、
早く解決に向かうという文脈で)。
こういった方々のお見立ては、
まったくのお門違い、頓珍漢だというべきだろう。
経済評論家、投資銀行家、株やさん的には(十羽ひとからげで
もうしわけないけど)この問題は、バブルの崩壊、信用の収縮、金融システムの
調整の問題に見えるのかもしれない。
バブル生成のプロセスと、その破裂と再生の金融プロセスだけ見ていれば、
この度のアメリカ経済の混乱は、
日本が経験した土地バブルの崩壊と、そこからの再建までのプロセスの
アメリカ版の焼き直しに見えるかもしれない。
彼らは金融システムが作り出した世界観の中でものを見、
金融システムのタームで考えているので、(たぶん)
自らが立っている地盤そのものの脆弱性について思考のリーチが届かない。

この度のリーマンの破綻は、
ドメスティックな経済システムの不調という性格のものではない。
金利操作や、財政出動といった金融テクニックによって
切り抜けられるものとは、本質的に異なる地殻変動が起きている。
リーマン・ブラザースや、メリル・リンチという会社は、
日本における山一證券や、長銀とは、
同じ金融ビジネスであっても、意味合いも、役割もまったく異なっている。
金融ビジネスは、アメリカ・システムそのものを支えた
覇権システムの中核であり、
アメリカが世界に振りまいた労働価値観や、経済価値観を象徴する存在なのである。
山一や長銀のような、いち金融セクションではない。
換言すれば、政治と経済における、大戦後の覇権国家が、世界に押し付けてきた
経済成長、環境、民主主義という価値観そのものが、
もともと無理筋であり、もたなくなったことのあらわれだと見るべきだろう。
勿論、経済成長はできるに越したことはないし、
環境は守られてしかるべきだし、
民主主義はいまのところ最善とはいわぬまでも、ベターな政治体制である。
しかし、そのどれもが、
金を積み上げれば手に入るというようなものではない。

世界の経済システムは混乱するだろう。
この危機を回避するために何ができるだろうか。
イギリスの銀行家がいみじくも言ったように
「銀行は、預金者にサービスする銀行業へもどるべき」なのである。
そして、ビジネスはビジネスの本義へともどるべきだろう。
痛んでいるのがシステムそのものであるならば、
その文脈を替えるしかないのである。
しかし、残念なことに、世界の指導的立場にいて本気で
そのように考えている方々は、
ごく少数であるか、まったくいないかの
どちらかなのである。






最終更新日  2008.09.17 08:46:07
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