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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.11.05
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カテゴリ:ヒラカワの日常
オバマさんが大統領に決まった夜、
ニュースか特別番組を見るつもりでテレビのスイッチを入れて
爆笑レッドカーペットを見てしまった。
ショート・コントの連続で、ひたすら脊髄反射的な
笑いに照準した芸が続く。
まあ、いいけど。

確かに笑いは痙攣的なものだけど、
痙攣的なものだけが笑いを作り出しているわけではない。
ひねった解釈や、本歌取りの面白さや、風刺の巧みさは
受けての思考回路を揺さぶったり、ショートさせたり
しながら可笑しさを生み出す。
常識が揺さぶられて、可笑しさが滲み出てくる。

痙攣だけの笑いには、どこか刹那的でやけっぱちなところを感じる。
近頃のテレビを見ていると、
ドラマでもトーク番組でも、あるいはニュース番組でさえ、
この傾向が顕著で、常識の範囲を出ない、定番的な
笑いや、同情や、義憤だけで構成されているように見える。
あるのは、「違った見方」ではなく、
感情の強度の差異だけである。

お笑い番組では、ナンセンスや、くすぐりや、カン違いや、行き違い
が誘い出す痙攣的な笑いを脈絡なく繋げる。
確かに、それはそれで面白いのであるが、
(もちろんつまらないものもある)
じっくりと浸るということはない。
番組は最初から視聴者にそれを求めていない。
ただ、視聴者の日常感覚を揺さぶり、
微細な差異を拡大して差別的な笑いを作り出す。
身体的に感覚できるところまでの、微細な差別感情をくすぐって
集団的、共犯的な笑いを誘う。

笑えない奴は、この微細な感覚に鈍感な奴であり
空気が読めない奴であるといった雰囲気が支配的な場が
形成されている。
標的はいつも、空気を読めないいけてない男であり、女である。
笑う側と、笑われる側を隔てているのは、
笑う側には集団的な価値観が共有されており、
笑われる側はその集団的な価値観から逸脱しているという
微細な価値観の壁である。

笑いはいつでも、この構造をどこかに持っている。
ただ、笑われる側が権力者や強者である場合もあれば、
弱者である場合もある。
前者なら笑いは風刺になり、批評になるが、
後者なら集団的なリンチに近いものになる。
笑いに高級も低俗もへったくれもないという見方もあるが、
自分たちの笑いを下支えしている集団的価値観には
いつも盲目的でよいというわけではない。

いや、こんな事を書きたかったのではなかった。
この番組のコマーシャルを見ていたら、
まずアコム、続いてアイフル、そしてプロミスだった。
俺は苦笑した。
この消費者金融は、
盲目的な笑いの場に集まってくる若者を
掬い取ろうとてぐすねを引いているように見えたからだ。
ソフィストケートされた貧困ビジネスである。
苦笑しながらも、なんだか嫌な気持になった。
貧困ビジネスのプロ達は、どこにターゲットがいるか
よく分っているのだ。
大笑いして、すっきりしたところで金を借りて
パーっと行こうじゃないかと言っているように見える。
おまけに「借りすぎに注意」だ。

「吸い過ぎに注意」の煙草を吸いながら俺は思う。
なんだか、異常な世界だが、
誰もこれを異常だと思えなくなっている異常に俺たちは囲まれている。





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最終更新日  2008.11.06 02:03:06
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