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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.12.09
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カテゴリ:ヒラカワの日常
石川くんから、
大瀧詠一さんのラジオトーク番組『スピーチバルーン』の
全巻セットが回ってきた。
大瀧師匠からは、『日本ポップス伝』を聴いておくようにご下達が
あったが、こっちが先になった。
ナイアガラー諸君には、何を今頃といわれそうであるが、
このような番組で
このようなことをやっていたのを
俺は知らずに過ごしてきたわけで、
今は大変悔やまれる。

どうにも、こんな面白いラジオトークを聴いたことがない。
中野翠さんの名著に『今夜も落語で眠りたい』があるが、
このところの俺は毎晩『スピーチバルーン』で眠っている。
この年になると、今更勉強しようなんていう気も起きないものだが、
このトークを聞いていると、
ああ、俺は何を聴いてきたんだと思ってしまうのである。

船村徹、遠藤実との対談は、
ご両人の実に味わい深い体験談に裏打ちされた
日本歌謡曲の史伝となっている。
かれら日本歌謡曲の重鎮の発想は身体的であり、
比類のない情緒的な強弱でひとつのフレーズ、
ひとつの音調に対しての思いを語っている。
大瀧師匠は、その情緒的な強弱が、何に由来し、どこに接続されて
ひとつの歴史になっていったのかを
想像していた以上の論理的な言葉で解説してくれている。
「この曲いいね」といって俺が選ぶのは
ただ俺の五感に同調したり、増幅させたりするもので、
何故その音に俺の五感が同調したり、増幅されされたり
するのかについては問う必要もないと思っていた。
「いいものはいい」でいいじゃないか。
しかし、師匠はそこに何故その音が面白いのか、何故その詞に心打たれる
のかについて、いくつもの「意味」の補助線を投げ入れるのである。
『音、沈黙と測りあえるほどに』は武光だが
師匠は、ここで音と測りあえる「言葉」を
発見しようとしているように俺には思えた。
「言葉」とは例えば一瞬のフレーズに潜んだ「堆積された時間」
のことだ。
その地層を掘り返すことには意味がある。

特に面白かったのは
高田渡との対談であった。
俺は知らなかったぜ。
この二人が同じ時代に生きていたことは勿論知っていたが、
これほど近い場所で呼応しあっていたとは
想像すらしていなかった。
(ほんと、今さらで、もうしわけないが)
二人はオリジナリティの不在という観念において通底し、
オリジナリティの不在の上に立ち上がってくる音楽的連続性において
同門的な意識を共有している。
これでは、なんのことかわからないかもしれないが、
全ての創作は本歌取りであり、その意味ではオリジナルではありえない。
自らオリジナルと称するものは、ただ本歌に対して無意識、無自覚
であるに過ぎない。
本歌の上に継承者の身体を迂回して歌が重ねられる。
オリジナリティとはその迂回の仕方の微細な差異の異名である。
本歌取りとはモノマネではない。
同じ歌枕(場所)に立つということなのである。
ビートルズは、チャックベリーと同じ場所に立ち、
高田渡は明治の演歌師添田唖然坊と同じ場所に立ち、
船村や遠藤は、流浪の浪曲師、演歌師らと同じ場所に立って、
自らの身体を使って、かれらの唄を歌うのである。
ああ、おもしろい。

こんなことをつらつらと考え、
自分の頭の余白の「吹き出し」に書き込みながら、
今日も『スピーチバルーン』を聴いているのである。





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最終更新日  2008.12.09 23:50:04
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