カテゴリ:ヒラカワの日常
昼ごろ起きて
膀胱に溜まった水分を排出し、 朝の光を入れて、コーヒーを飲みながら 煙草を吸いながら 大瀧詠一スピーチバルーンを聞きながら フランス人空手家のイヴァノビッチからもらった 万年筆にインクを入れて 年賀状を書いたのであった。 いつも、キーボードばかり叩いているので 字がうまく書けない。 漢字を忘れている。 三十年ぶりの麻雀のように、 書き順を忘却している。 形が整わない。 スタミナがなくなっている。 「どうしたんだ、へへいベイビー@清志郎」状態。 指が退化してきている。 この文明病は 案外重要なものを含んでいるような気がする。 この戯文もそうだが コンピュータでたたき出す文章と こりこりと万年筆で書く文章では 大部その肌合いが異なってくる。 機械でついた餅と、 杵でついた餅の味が違うように、 機械でこねた饅頭と てごねのそれの味が違うように、 電気釜のごはんと、 薪釜の銀シャリの味が違うように、 文章もまた微細な違いを含んでいるものである。 文字ばかりではない。 あらゆる生活の局面で 石油や機械のお世話になって便利になった分だけ もっとも本質的な微細な味わいというものを 失っているというわけである。 昔は良かったなどと言うつもりはないし、 文明を忌避するといった趣味はないけれど、 確実に退化しているものの根源を 考えてみる必要はあるだろうと思う。 そんなことを、つらつらと考えながら、 遅まきの大瀧節を聴きながら、 涙目をこすりながら、 煎餅を齧りながら、 指先のスタミナを気にしながら 米粒写経の心境で、 年賀状というものを書いたのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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