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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.12.23
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カテゴリ:ヒラカワの日常
昼ごろ起きて
膀胱に溜まった水分を排出し、
朝の光を入れて、コーヒーを飲みながら
煙草を吸いながら
大瀧詠一スピーチバルーンを聞きながら
フランス人空手家のイヴァノビッチからもらった
万年筆にインクを入れて
年賀状を書いたのであった。

いつも、キーボードばかり叩いているので
字がうまく書けない。
漢字を忘れている。
三十年ぶりの麻雀のように、
書き順を忘却している。
形が整わない。
スタミナがなくなっている。
「どうしたんだ、へへいベイビー@清志郎」状態。
指が退化してきている。
この文明病は
案外重要なものを含んでいるような気がする。

この戯文もそうだが
コンピュータでたたき出す文章と
こりこりと万年筆で書く文章では
大部その肌合いが異なってくる。

機械でついた餅と、
杵でついた餅の味が違うように、
機械でこねた饅頭と
てごねのそれの味が違うように、
電気釜のごはんと、
薪釜の銀シャリの味が違うように、
文章もまた微細な違いを含んでいるものである。

文字ばかりではない。
あらゆる生活の局面で
石油や機械のお世話になって便利になった分だけ
もっとも本質的な微細な味わいというものを
失っているというわけである。

昔は良かったなどと言うつもりはないし、
文明を忌避するといった趣味はないけれど、
確実に退化しているものの根源を
考えてみる必要はあるだろうと思う。

そんなことを、つらつらと考えながら、
遅まきの大瀧節を聴きながら、
涙目をこすりながら、
煎餅を齧りながら、
指先のスタミナを気にしながら
米粒写経の心境で、
年賀状というものを書いたのであった。






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最終更新日  2008.12.23 16:57:51
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