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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2009.01.12
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カテゴリ:ヒラカワの日常
去年からずっと体調万全であったが、
このところの気温変化に老体がついて行けず
ついに風邪をひく。
今朝、うがいをしたら、唾に血が混じる。
煙草の吸いすぎである。
風邪を引いてなにが辛いかといって、
煙草がうまくないのがどうもやりきれない。

げほげほ言いながら、
イヤホンで半藤一利さんの『昭和史』を聴き続ける。
昭和十年代、日本が徐々に
戦時体制になっていく様子がよく判る。
昭和七年の上海事変、満州国成立。五・一五事件。
国際連盟脱退。二・二六事件。日中戦争。日独伊防共協定締結。
そして、国家総動員法交付。
声の大きいものが、無理を押し通し
マスコミがこれを後押しし、
国民も浮かれて付和雷同してゆく様子は、
昔も今もあまり変わっていないように思える。

ただ、日中戦争の行き詰まり打開に
当時の地政学的状況を無視してドイツイタリアとの
軍事同盟に走る近衛内閣に対して、
対英米協調を主張し続けた山本五十六や、その周辺の海軍士官がいたこと、
陋巷にあって、冷徹な観察眼を持ち続けている永井荷風といった
少数の異端者というべき人々の小さな声がこの時代の底辺に
流れていたことも忘れてはならないことだと思う。
かれらが、何ゆえその立ち位置に立ち続けられていたのかは
もっと仔細に検証されてもいいように思う。
半藤さんは、随所で荷風の述懐を引用しながら、
そこに民衆の本音、体感が息づいていることを伝えようとしている
ようである。

それにしても、日本が真珠湾を攻撃する昭和十六年という年が、
俺が生まれるほんの九年前の事であったという事実に
いまさらながら驚くのである。
世界恐慌が昭和四年であるから、十年と少しで、日本も世界も
その姿を大きく変化させ、戦争への階梯を一段一段昇っていった。
世界はあまりに、急激に変貌していったのである。
今から九年前、つまり1999年と言えば、
俺にとっては昨日のことのように鮮明かつ今と地続きの年である。
アメリカも日本もまだバブルの余燼がくすぶっていた。
俺は、これまで続けてきた仕事に一区切りをつけ、
カリフォルニアのベイエリアに小さな事務所を開き、
同時に東京で、新しい会社を設立した。
当時のビジネス上の価値観は、いまほとんど反転している。
世界はかくも脆いものなのかと思う。

2008年は、この先どのような形で人々に記憶されることになるのだろう
と思う。
世界的な金融不安と、頻発する地域紛争とテロ。
世界が風邪を引いて七転八倒している。
雰囲気は、あの時と似ているような気もするし、全く違うともいえる。
ただ、声のでかい奴が威張り出し、やたらと威勢のよいことを吹聴する奴の
主張が無理筋を通し、マスコミがこれを持ち上げ、
人々が付和雷同していけば、
ろくなことは起こらないということだけは、
どの時代にも共通なことのように思えるのである。

その意味では、オバマ人気も不安なしとはいえない。
いまのアメリカにどれだけの荷風がいるのだろうか。
オバマという人の、思想も腹のうちもまだ何も明らかになってはいないのである。
寺山修司がいみじくも言っていたように、
英雄のいない時代は不幸だが、英雄を待望する時代はもっと不幸だからである。

追記:英雄のいない時代は不幸だが、
  英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。(ブレヒト『ガリレオ・ガリレイの生涯』より)





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最終更新日  2009.01.13 10:29:04
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