カテゴリ:ヒラカワの日常
カフェ・ヒラカワのコメント欄が騒々しい。 理想化された読者のお一人であるまろさんの貴重なご意見もあって、 店主の見解も、書いておきたいと思う。 ここのコメント欄に関していえば、いや、どこのコメント欄も、 コメントと呼べるものもあれば、どうでもいいような雑言の類もある。 何だか意図がよく判らないような、サイト誘導もあれば、 笑えないおちゃらけのようなものもある。 まことに誠意のある助言もあれば、人の背後から石を投げるものもいる。 要するに味噌も糞も一緒に落ちているのが、 コメント欄というものの宿命であり、 インターネット空間の可能性であると同時に限界でもあるということだ。 ここは、その名前のとおり、バーチャルなカフェであるから 原則としてどんな客がこようと、お客はお客である。 ただ、原則としてお金を戴いている商売をしているわけではないので、 お客はお客だが、実商売におけるお客様に対する前だれ精神は、 このカフェの店主にはない。 面倒になれば、すぐにでも店を閉じることにしている。 どんな客が来ているのかは、確かに店主の責任でもあるが、 ほとんどのお客はコメント欄に書き込みをしない方だろうから、 実際のところは、どのようなお客さんがいるのかはよく判らない。 どんな書き込みがあるのかに関しても、店主の責任という考え方も 理解できなくはないが、 俺はどんな書き込みを残すかに関しては、一切の責任はないと 考えている。 どれを俺が読んで、どれを嗤って、どれを無視して、どれを晒しておこうが それは俺の密かな楽しみであり、 あらゆるブログ主が持つべき愉悦のひとつだろうと思っている。 興味深く思うこともあれば、つまらないと思うこともある。 客が店を品定めするのと同じように、 店主も密かに客を品定めしているだけである。 人間には実にいろいろな思考をするものがあり、 実にいろいろな言葉を発するものがあるものだと 思うだけである。 それでも前に、面倒くせぇなぁと思って一度店を閉じた。 しかし、そのことによって、 大切なご指摘や、俺のカン違い、いい間違いのご指摘まで 封鎖してしまうことには、躊躇があった。 このブログに書き込む記事に関していえば、 昼休みに喫茶店で大急ぎで書き込んだり、 ほとんどメモ代わりに速攻で書き付けることもあって、 いや、そもそも俺は、 よく間違えるのであり、それをご指摘いただけるのは まことにありがたい事なのである。 ただ、このコメント欄で何か議論をしたいとは 到底思わない。 議論を尽くすには、はなはだ不便な場所であるし、 条件反射的な反応をする野次馬も多い。 議論のための議論にはほとんど意味はないだろうし、 興味も無い。 もし、本当に議論が必要であれば、 お互いの重要なものを賭して、実名を持って、 言葉のやり取りをしたいと思う。 場合によっては、生存を賭して、言葉に全重量を賭けなければならない こともありうる。 だか、その場はこんな場末のカフェの片隅ではないはずである。 異論は、ご自分のブログで思う存分発信していただければよい。 それが、意味のある意見であれば必ず人はそれを発見し、 その言葉は届けられるべき人に届くはずである。 もし、それほどにも「言葉」というものを信じていなければ、 まだるっこしくも、迂遠な道すじを経て届けられる「言葉」 を使ってやりとりする必要もまたないだろう。 「言葉」のやりとりに関していえば、 自分が相手の「言葉」から受け取れたものと同等以上のものを 相手に届けることもまたできないだろうし、 自分が相手に届けようとしている「言葉」の水準以上のものを、 相手から届けられると期待することもできないということである。 というわけで、このコメント欄は 今までどおり、カフェの裏手に放置された空き地のようなものと 俺は考えているし、お客さんもそのようにお考え戴きたい。 空き地には、素敵な拾い物が落ちている場合もあれば、 ガラクタが吹きだまることもある。 必要なものがあれば、俺が取りに行くだけである。 お客さんが必要なものを、店に取りに来るようにである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
公共空間にデタラメなことを垂れ流していれば批判にさらされるのは当然でしょう。
おたくが自分の土地に喫茶店を開いているのとはわけが違う。 ネット上の公共空間に場を借りていることにはかわならい。つまち家は自分のものでも土地はすべての人のものだ。 そこでだな、内田やあなたのような人が間違ったことをいっている。そこらの埋もれた大衆ではなく、あなたがたは、あきらかにジャーナルな存在でしょうが? 言葉を大事にせよというなら、まずは自分たちが公共空間で発する言葉の重さをもっと感じよ! 内田やあなたのごとく無責任に拠りかかって、大企業のちょうちん持ちをしているから非難や批判を浴びるのだ。 大事なものを賭けて勝負しようというのならこととら、いつでもオーケーですよ。 内田やあなたのごとく小心者ではないから空手や合気道を習ったことは無いが、五歳から喧嘩ざんまいで生きてきた。リアルな喧嘩がどういうものかお見せしましょうや。 やる気があるのなら、以下にご連絡を。一対一ならいつでも相手になりますぜ。 halu@sepia.plala.or.jp (2009.04.07 06:23:38)
イカフライさん、なにを寝ぼけたことを言ってるの?
(2009.04.07 10:18:44)
場合によっては、生存を賭して、言葉に全重量を賭けなければならない
こともありうる。(ヒラカワ) ↑これが、こうなる↓ 五歳から喧嘩ざんまいで生きてきた。リアルな喧嘩がどういうものかお見せしましょうや。 やる気があるのなら、以下にご連絡を。一対一ならいつでも相手になりますぜ。(イカフライ) イカフライの誤読による天災だね。 (2009.04.07 10:42:12)
綺麗な桜の写真ですね。いつも写真を楽しみにしています。
あちこちで桜が満開になり、いよいよ春本番ですね。 まるちゃんが亡くなってもう1年になりましょうか。 今頃天国でどうしているかなぁって時々思ったりしているんですよ。 多摩川の河原ではしゃぐのが好きだったというまるちゃん。 春になればまるちゃんを思い出す…そんな私にとって春はちょっぴり切ないです。 (2009.04.07 11:17:33)
すごいよ
すごすぎる。ネット上で、このイカという空前絶後のバカを目の当たりに出来て感動している。 >>あきらかにジャーナルな存在でしょうが? これもすごい。語法のパラダイムシフトや~(彦麻呂) (2009.04.07 11:26:37)
それもヒラカワさんに言わせればかってなんでしょうが。私のようなバカなものの稚拙な言葉からでもその言外にある何かを感じ取ってくれる、そんな人と思ってました。命を賭して議論?本性を見ました。「なんでも知っている・・がいる」内田(百)
(2009.04.07 12:25:34)
批判というのは、被批判者の姿ではなく、
【批判者本人】の姿を現しているのに過ぎないということをつくづく思います。 (2009.04.07 13:01:42)
イカフライさん
け、くそおもしろくもないというお気持ちは解るような気もしますが、これはある意味、予定調和的、期待通りの反応ですね。もっと独特な反応を期待します。 (2009.04.07 13:02:39)
ま、内田樹の小心臆病にくらべれば、こうやってコメント欄を開いて、己の言説を巷の批判にさらしているヒラカワさんを責めることは酷であった。
内田ごときは、ヒラカワさんと同じくその発言はジャーナルなのだから、てめえの発言を批判にさらすべきなのだ。内田は閲覧者のコメントにおそれをなしてコメント欄を閉鎖した。鼻汁を垂らしたような臆病者が、口を開けば「文句があるなら身体で勝負してやる」だと。あほか。根性があるんなら空手や合気道などで武装しまい。おのが小心、臆病を世界にさらしてなにが「身体で勝負だ」。 それに比べて、考えたあげく、こうやって閲覧者相互交通の場を開いておくヒラカワ氏は立派であった。 そのことを言い置いておかなければ、あまりにも偏った発言のままになってしまうので補筆しておく。 (2009.04.07 13:24:12)
昔から弱い者ほどキーキー泣くというのは、
ほんとうだったんですね。 (2009.04.07 14:19:46)
反省ねえ。そんなワードがイカにあるとは。「学院長に怒鳴り込むぞ」「ビラをまくぞ」「卒業生全員に電話を掛け捲るぞ」と内田ブログで脅しつづけたイカフライが、反省ねえ。都合のいい野郎だ。
(2009.04.07 15:13:13)
>こうやって閲覧者相互交通の場を開いておくヒラカワ氏は立派であった。
ところで、イカさんや。おまいさんのブログにコメ欄がないのはなんでかね。 (2009.04.07 15:27:58)
イカフライさんってどういう方なんでしょう。
もし色んな場所でこういった語調でコメント残している方なら、自身のブログにコメント欄は設置できないでしょうね。 そもそも文章の一面性を取り上げて騒ぎ過ぎなのではないでしょうか。端的に言えばすごく子供っぽく映ります。 批評の目が入る前の個人的なブログなんですから、多少行き届かない部分があってもいちいち騒ぎ立てなくてもいいのでは? そんなに莫大な影響力がある方でもないわけですし(平川さんに失礼か)。 意見が正しい正しくない以前の問題で、イカフライさんは自身の言葉の使い方によってそのコメントの有用な部分を致命的に損なっていると言わざるを得ない。そしておそらくそれに自覚的で、開き直っている。 なんでそんなに態度が悪いんです? (2009.04.07 18:04:44)
>空き地には、素敵な拾い物が落ちている場合もあれば、ガラクタが吹きだまることもある。必要なものがあれば、俺が取りに行くだけである。お客さんが必要なものを、店に取りに来るようにである。
というのがカフェ・マスターの営業方針ですから、ここに来るかぎり遵守しましょうよ。つまり、ぶちまけられたコメントのなかから、まず「素敵」なものと「ガラクタ」を選り分けて、「必要」なものだけを取りにいけば(言及すれば?)いいわけです。 もちろん手始めに、おれのコメントが不必要な「ガラクタ」として選り分けられるわけですがーっ!(死) (2009.04.07 18:22:09)
<カフェ・ヒラカワのコメント欄が騒々しい。
といっても、それは一人の居付きによるものです。 都合のいいときは、あることないこと勝手に解釈したガラクタコメントを置いていき、都合が悪くなると、迷惑コメを連打する。 100人に1人くらいの割合でこうした社会的に問題のある人が出てくるそうです。自分はいまこの現実の社会全体がこのような危機にさらされているのではないかと思っています。大声を上げて道を歩けば、危ない人だと思ってみんなが除けて信号無視でも何でも出来てしまう。 ’お互いの重要なものを賭して’といっても賭けるもののバランスがあまりに違いすぎる。それが分かっていて開き直る人はこれからもっともっと多く出てきます。 ’店主の見解’もすでに誤読されています。 普通は話せば分かると行きたいのですが、何を言っても無駄という虚無感。こんな人がいるという驚きは1年以上続いています。 良き方向に治まることを切に願っています。当分は静観が良いでしょう。コメントはブログ記事についてだけにして、横のコメントは控えた方が良いと思います。 (2009.04.08 01:31:59)
初めて「コメント」ってします(笑)
あらゆるケースでコメントってしたことないんです。いつも楽しみに読ませてもらってます。「ラジオデイズ」のプログラムも最近ダウンロードするようになりました。企画の面白さにドキドキしています。ブログの方、「コメント」をめぐって色々あるようですが、どうか、お続け下さい。私のようにどうやって応援したらいいか考えあぐねている人もいるかと思うので…お元気で、ご活躍下さい。 (2009.04.12 17:26:59) |