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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2017.05.08
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カテゴリ:ヒラカワの日常
図書新聞に投稿した記事をブログに採録しておきます。
よろしくです。

言葉がインフレ化した時代の憲法
言葉のハイパーインフレ
 1950年生まれのわたしは、戦後の日本の歴史とともに生きてきた。焦土と化した日本が、高度経済成長を遂げるまでの戦後20年がわたしの少年期であり、1973年のオイルショック後の、相対的な安定期に青年期を過ごしてきた。明日は、今日よりきっとよくなると信じられた時代であり、事実、経済は着実に発展した。
教育勅語に象徴される戦前的な価値観については、知識としてはあったが、自分が臣民であるとの自覚を持ったことはない。それでも、少年期のころの日本には、まだまだ儒教的な価値観が濃厚に残っていた。男尊女卑はもとより、長幼の序は学校の運動部にも、会社にも残り続けた。民主化は、まだ先の話であった。
 70年代以降、日本に消費資本主義の時代が訪れ、核家族化が進行し、気が付けば戦前的な封建的価値観は陳腐化し、個人主義的な考え方が消費者全般に広がっていった。衣食足りて日本人は、民主主義を知り、個人に目覚めた。
もちろんそこには、金さえあれば贅沢も自由も手に入るというような金銭一元的な価値感が支配的になり、新自由主義と親和性のある自己責任論が横行するという問題もあった。思想的には、国民国家、国民経済の底上げを目指した日本独特の再分配システムから、トリクルダウンという言葉に象徴される市場原理主義へと日本経済は舵を切った。わたしは、どちらかといえば、日本的システムを擁護する文章を書き、同時に、現在という時代は、人口減少社会を見据えた定常経済へと移行してゆく準備段階であると捉えていた。
 思想的には様々な考え方があったが、日本という国家も、日本国民も、少しずつではあるが、過去の失敗から学び、普遍的な価値を共有し、すこしでもましな方向へ向かっていると信じていた。多くの日本人もそう考えていたのではないだろうか。
 ところが、そういった、戦後日本の政治と経済の評価と、将来をめぐる議論をしているあいだに、考えてもいなかった劣化現象が進行していた。
一言でいえば、反知性主義ということなのだが、言葉というものに対する信頼が急速に衰えるという現象が起きてきたのである。
 言葉というものは、貨幣と似ている。
よく言われるように、貨幣が貨幣として流通しているのは、皆がそれを貨幣として流通していると信じているからである。もし、貨幣の流通性に対する信頼が失われれば、貨幣はたちまち、紙くずへと変貌する。ハイパーインフレーションである。
第二次安倍政権以降、端的に言って、言葉は重みを失い、憲法の条文も空言となった。わたしは、自分が生きている間に、これほどまでに、言葉が毀損される時代が来ることを、うかつにも予想していなかったのである。
積極的平和主義
 戦後の憲法解釈を変更してまで立法化しようという安保法制に関して、その全体を論理立てて説明することができる与党議員はいるのだろうか。自民党が提案した法案には、さまざまな、「事態」が登場するが、「存立危機事態」とか「武力攻撃事態」とか「重要影響事態」とか「国際平和共同対処事態」とか、(あと何でしたっけか)そういった事態の数々と、それらの事態に対応して自衛隊が、何が出来て、何ができないのかを明確に説明することにはかなりの困難が伴うだろう。
 安倍総理の口頭での説明を聞いていると、切れ目のない防衛安全法制だとか、積極的平和主義だとか、わかりやすそうではあるが、よく考えると何を言っているのかよくわからない意味不明のスローガンを繰り返しているだけのように思える。そして、最後には必ず、「総合的に判断して」決めるということになる。
 最後に、総合的に判断しなければ、法の執行ができないような法律とは、法律と呼ぶに値するものとはいえない。日本は、法治主義を捨てて、人治主義の国になったのだろうか。
 あらゆる〈法〉には、法制定の根拠となる〈法の精神〉というものがあるはずで、憲法の解釈改憲をして実現した安保法制にある精神は、憲法の精神とは最初から食い違っている。我が国の憲法の場合には、いかなる場合にも、国家間の紛争の問題を解決するために、武力の行使という手段を用いずに平和的手段を尽くす、それこそが憲法の〈精神〉であると私は理解している。これは、かなり積極的な平和主義である。そもそも、安倍首相の言う「積極的平和主義」なる言葉は、安全保障のために、自衛隊を展開するということであり、言い換えるなら平和のために、戦争をするという自家撞着の言葉である。
 過去に、「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」と語った安倍首相もまた、憲法に対する侮蔑を隠そうとはしていない。 自ら侮蔑を公言するような憲法に従って、憲法に抵触する可能性のある法案の合憲性を主張しなければならないところに、本法案のわかりにくさの原因がある。中谷元防衛大臣(当時)の「現在の憲法を、いかにこの法案に適応させていけばいいのか、という議論を踏まえて閣議決定を行なった」という発言には、この法案の作成プロセスが、本末転倒の議論であったことが明確にあらわれている。
 かくして、今の内閣による憲法の、恣意的な解釈が行われたあたりから、<法>の言葉はもはやその効力を失った。これ以降、現在にいたるまで、安倍政権の閣僚が次から次へと繰り出した嘘、食言の数々を列挙するまでもあるまい。条理の通らぬ言葉が、担当大臣の口から次から次へと吐き出されても、辞任することはない。森友問題においては、官僚は明らかに嘘と分かる答弁を国会で繰り返して、謝る気配はない。
 <法>の言葉に限らず、あらゆる言葉に対する信頼を醸成することは、社会の公正さや秩序を維持することと密接に関連する。この内閣がしたことは、そうした歴史的努力を反故にしてしまうほどの、言葉に対する信頼の破壊であると言わざるを得ない。






最終更新日  2017.05.08 13:13:32
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