アメリカの憂愁。
久しぶりにシリコンバレーである。東京を出る前に、国際免許を取りに行って、その場で、国内免許を取り上げられてしまった(うっかり失効ね)ので、アメリカに来ても動きが取れない。成田-サンノゼの直行便もなくなってしまい、免許があれば、サンフランシスコからドライブなのだが今回ばかりはLA経由で、サンノゼ空港に入りそこで、現地のスーパースタッフである奥田女史にピックアップしてもらった。アメリカという国は化石燃料を燃やし続けないと、生きてはいけない大変不便なところである。今回は、最初から現地のスタッフにお世話になって、何から何まで、介護してもらわないと用が足せない。そのまま、サンノゼのオフィスに就いて近況を聞く。しばらく、来ていなかったらこちらは驚くべきことになっている。彼女は新しいビジネスを始めようとしているのだが、それが、これまでの彼女の手がけていたものとは180度異なるものであった。詳細はここには、まだ書けないのだが、かつてのITフリーク奥田女史は、今やITに愛想を尽かしたようで新しいアグリ・ビジネスに全身燃え上がっておりほとんど草原の巫女のようになっている。すごいものである。まあ、ここにはサンノゼ・ビジネスカフェのかつてのVPで今は俺の異国の悪友になっている奥山君がいるので、困ったときには彼に電話をするとすっとんできてくれる。まったく、仕事で世話になり、遊び(ゴルフとあわび取りなのだが、俺はもぐりにいったことがない)でも世話になり、得がたい友人である。彼は一度アメリカに見切りをつけて日本に帰ったはずであるが、電話をしてみると、ここに舞い戻っているではないか。一年以上会っていないのでカリフォルニアの味気ない晩飯(ベドナムそば)を食いながら久闊を叙すといった按配である。アメリカとはいってもベイエリアのことしか分からないのだが、今回はローカルエアーの窓越しに上空からしみじみとアメリカを観察した。なんだ、世界の温暖化に貢献し、中東にまで出かけて戦争をしている国だが上から見れば、山と荒地ばかりで人びとは谷間谷間に集落をつくって生活している。地上から眺めるLA,サンフランシスコ、シリコンバレーとは随分異なった印象を受ける。奥田さんに言わせるとそれでも、やはりアメリカは面白いということになる。超ハイテクで、IPO熱に浮かされたシリコンバレーではあるが、同時に、お金の世界にそっぽを向いたコミュニティー作りに挺身している今風ヒッピーも同じぐらい多い。その両極端が上手い具合にバランスをとっていて、そこにエネルギーが渦巻いているということらしい。何でも過剰なことがここの特徴なのかもしれない。確かに、やつらは中庸ということを知らない。腹いっぱいということも知らないのだろう。そういえば、今回利用したアメリカン・ドメステックエアーのフライトアテンダントはまるで、アメリカンポルノからそのまま抜け出してきたようなブロンドグラマーで、厚い唇はぬらぬらと濡れた光沢を放ち、でかいケツをくねくねと捩じらす動作はブギーナイツの画面の中をみているようであった。どこまでも過剰なのである。奥山くんがここに舞い戻ったのもこのアメリカの過剰さの魅力によるのだろうか。間違いなくアメリカはすべてのものが過剰になってゆく「変なところ」である。そして、「変なところ」は、好き嫌いは別にしても(俺はどっちかといえば辟易することが多いのだが)エキサイティングであることには変わりはない。ただ、これは俺の気のせいかもしれないが、どこかで、アメリカはもう終わっていると思わせるような寂寥の空気が流れ込んでいた。かつて、輝いていた過剰の魅力が、いまはそれを演じている人びとにとってもすこし、しんどそうに見えたのである。