「奥さん泣いているよ。」と年輩の調停委員が口を開いた。
先に調停室に呼ばれた妻は場所柄もわきまえず、調停委員の前で取り乱したらしい。
調停委員によれば、妻はひたすら泣くばかりで話にならない。本日の調停はこれ以上の進展は期待できないという口振りである。
民事訴訟とは異なり、離婚調停では申立人と相手方が同席することはなく、交互に調停室に呼んで話を聴くことになっている。そして、当事者に対する公平な扱いに配慮してであろうか、男女2人の調停委員が担当する。いま彼の前には、年輩の男女がラウンドテーブルを挟んだ向こう側から、彼を見ているのだった。
そして、つい今し方妻から話を聴いたばかりの委員が妻の様子を語ったところである。泣き崩れる彼女に閉口しながらも、同情する気持ちが伝わってくるのが気にかかる。裁判所は公平公正に話を聴き、粛々と判断し、助言をくれるものと信じて疑わなかった。裁判所とは、そういう所だと無邪気に信じていたのだが、いまこうして年輩の委員から睥睨するような視線に曝された彼は、意外な気持ちで椅子に座っている。俺が何か悪いことでもしでかしたというのか。やはり、調停委員には、離婚を突きつけられた不憫な女と裕福な社長の離婚事件と見えるのだろうか。それとも、俺の思い過ごしなのか。いずれにせよ、彼女はよほど激しい泣き方をしたに違いなかった。
女の涙ほどあてにならないものはない。女は本気で泣くのだが、心のどこかで冷静に計算しているのである。涙は女の武器。単なるたとえ話ではなく、事実、泣くことを武器にする術を自然と身につけている強かな女はいるのだ。そして彼女。彼女はそういうことに長けた女なのだ。この10年間、彼女の子供じみた狡猾さは、厭というほど見せつけられてきた。調停委員の単細胞ぶりにも呆れたものだと思うのだ。
次回調停期日で、そのことは次第に明らかになって行った。