イジメていた立場がイジメられるほうに逆転
同級会は脳を刺激するのか、思い出すことがたくさんある。最近はイジメの報道が少なくなった気がするのだが、イジメの体験だ。自分の経験では、小学校高学年の頃、ある子をイジメていた気がする。そのイジメの方法は、今思うにとても陰険で過酷な方法だった。あるゲームで、その子にいつまでも鬼役を務めさせるというもの。しかもこのゲームは田舎では「隠れゲンぺ」と呼んで、かくれんぼとボールあてと、追いかけっこをミックスしたとても体力をつかうゲームなのだ。鬼になるとボールをもって、果てしなく追いかけ続けて、ボールをあてなければならない。ボールをぶつける際に、うまくよけられた場合は、しめたもの。この瞬間がゲームのクライマックスであり、しかし、ゲームの始まりに過ぎない。鬼以外は必至になって逃げ続ける。そしてこのゲームが校庭でなく、エリアを限定せずに住宅地でやる場合に、イジメがおきる。特定の子をいつまでも鬼にするのだ。そして、鬼でい続けるということは「つらい」ことなのだ。ところがあるとき、立場が逆転しまった。つまり自分がイジメの対象になってしまったのだ。つまり、延々と鬼を強いられたのである。これはつらいものだ。さて、イジメに関する私見は、上記の体験に基づくものである。つまり、イジメは子供時分に体験しておくべきことだということ。子供の小賢しいイジメは、残念ながら自然発生的に起きてしまうと思う。しかし、イジメる・イジメラレル体験をしておくことで、イジメるのはよくない、イジメられるのはつらいということが、身に沁みてわかるのだ。親の介入は、本質的な解決ではないと思う。