親を反面教師にするとは
次男からの父の日のプレゼントをめぐって、少し賞賛のコメントやらがあった。私も正直うれしかったし、次男を揶揄するつもりもない。何度かこのブログでも告白しているが、次男は、もう、私の夢以上の世界に生きている。すなわち、私は渡米や、米国に暮らすことや、米国の大学に行くことを夢に見ていた。ところが、私が渡米転職することによって、子供たちは、想像していなかった先に行ってしまった。次男はすでに、日本で暮らすより長い15年を米国で暮らしているし、米国の大学を卒業した後USの企業に就職して最早6年。自分が夢にも見ていなかった先を現実に生きている。私を反面教師に見ることは、もちろん、現実に「米国に連れていかれた」現実をそのまま克服していくしかなかった。そして、見事にUSに暮らしている。だから、お見事というしかないのだ。ただ、人生はそんなには甘くはない。彼には、家族をどう築きあがるのかを始め、まだまだクリアしなければいけない課題がある。FBには私が「親父のようにならないように」と書いたように、反面教師とした面はもちろんああるが。基本は「為せば成る」「努力」「まじめに」を尊敬している。しかし、ある時から、真面目ではだめ、努力だけではない、慎重だけでは、人生面白くないと気が付いた。親父が良しとしなかった、「遊び、おふざけ、休む、馬鹿になる、乱れる」世界を嗜好するようになった。次男は私の「遊び、おふざけ、休む、馬鹿になる、乱れる」世界が嫌いなのだと思う。もう一つ、発信することも、嫌悪しているは知っている。(FBのこと)私も、私の父も、次男にもそれぞれの「生き様」がある。親を見て育った限り、それを拒否したり、尊敬したり、それは本人の自由だろう。私の自分の好きなところは、親からも子供からも「呆れられ」ながらも、曲りなりも「自由に」、生きていることかな。