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ローカルなロケーションにあってしかし、グローバル企業というのが我が社。
今日いくつかのブログを書いていて、私などは、一般社員からするとやはり反発を招く存在なんだろうなと反省する面がないではない。 たとえば、英語。 米国本社の発表やメールを日本語に「翻訳」しようとするのが、私にとってはまどろっこしくしてしょうがない。 会話や英語で発信することは苦手でも、あちらからくるメールをいちいち「翻訳」する必要があるのか。普通の英語教育を受けていれば、そんなに要らないはずだし、ましてや管理職になぜそんなサービスをするのかわからない。管理職がそんなレベルだったら、外資系だったらやっていけないはずだ。 英語そのままのメッセージを、そのままうけとりゃいいじゃないの。気に入らないのは、今時外部業者に翻訳を委託したり、会社内部でも「英語の得意な人」に翻訳させようとする。 しかし、私は米国暮らしもしているし、上のような考えをもつことが異常らしい。 自分は浮いているかも、と感じることが多々ある。 会社の朝礼がカッタルイ。無意味と思っている。スケジューラーやアウトルックやマイクロソフトの使い方をもっと自習して、各自がもっと使いこなすべきだと思っている。会社は前面禁煙にすべきだと思っている。工場の制服を事務職に強要する必要はないと思っている。管理職の職制を〇〇役員・部長・次長・課長・主任と呼ぶのは廃止すべしと思っている。等々。 実際どうなんだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年05月23日 20時19分26秒
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