やせ我慢のブログ
昨日の日記を振り返って、思うことを書き記しておこう。つまり、自分のブログの背景には1.『いったい我が家の家計はどうなってしまうのだろう』という底知れぬ不安感があるということ。次男の米国残留そして米国大学進学の行方を固唾を呑んで、見守っている自分があること。(うちには三男の金食いティーンエイジがいる。)2、日本での仕事がイマイチというか、全く冴えない状況にあること。家計の支出側が今後どんなことになるのかという状況の一方で、収入を支える中身が非常に心もとないこと。3.極めつけとして家族を米国に残している心配と、一方で単身生活の孤独これがある。(正直な心情の吐露ですな)要は、綱渡りのような人生、この先どうなるのだろうという不安要素が目白押しなのだ。古来、人間というものは自然の脅威に慄いたり、人生のはかなさに嘆いたりしたとは思うが現在の日本人(と言い切れるだろう)ほど不安に苛まれている状況はなかったのではないか。そして、それに輪をかけて我が家は、大変化の真っ只中にいる。そんな最中に我が日記は、山菜だ、京都だ箱根だ、山歩きだお酒だとキテイル。昨日の日記の人間の本能=『ドーダと言いたい』の裏には、人間の底知れない不安感が存在している。そしてもう一つの人間の本能=不安な状況下にあっても『どうってことないさ』と強がりたい本能もある。そう、私のブログは『やせ我慢』に貫かれているのだ。だから・・・、せいぜい日本文化を楽しみ、いい年こいて『遊びまわって』、日本酒に『オボレテヤル』のだ。しばらく前のブログでは、憂鬱病にかから日本の中年の原因をうまく説明できなかった。もし、こういった脱現実の処方箋を持っていなければ、私は間違いなく神経を病んでいると思う。いや参らないほうがおかしい。今週は次に控えた三男の件を前に、伊吹山に登る。