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2006年06月25日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 義兄が亡くなって1年が過ぎた。昨日は仏教でいう一周忌にあたる儀式に出席して来た。姉の一家は他の親族とは違う宗教で、いわゆる神道なので私たちには勝手のわからないことだらけだ。

 仏教と違ってお経はないけれど、儀式と言っても形式ばったものではなく、残された家族や親族が、故人に心の中で語りかけても伝わっていないのではないかと思う事を、神が伝えてくれると言うもの。そして、残された家族が幸せであることを伝えて、故人を安心して神のところへ導き再び生まれ変わって来られるようにと願うものということを伝導師の方が教えて下さった。

 姉が代表してその言葉を読み上げた。その中で「『こんなことがあったよ』と話そうと思ってふと、もうYさん(義兄)はいないんだと思った時に、とても寂しくなった。」と言う事も言っていた。おしゃべりな姉だから、余計にそういうことが多かっただろうと思う。そして姉の勤め先であるパン屋に、義兄が生前勤めていたの会社の人が訪れ、その会社(食品会社)のスープが店の棚に並べられ、製品を使ったパンも作られるようになったとか。そんなところに縁を感じているとか。そんなことも言っていた。

 義兄が亡くなって何年たっても、心の中で区切りをつけるとか、吹っ切れるとかそういうことはないと思う。ただ少しずつだけど義兄が「心の世界」に住んでいるということを受け止めるだけなのだ。私は姉たちとは同じ宗教ではないけれど、祈る事は同じだと思う。義兄の心の安らぎと、いつか生まれ変わって会えること。

 えりちょも叔父さんのことはちゃんと覚えていて、一緒に手を合わせてお祈りした。えりちょは心の中で何を叔父さんに語りかけていたのか、私が目を開けてもまだしばらく祈っていた。





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最終更新日  2006年06月25日 22時44分15秒
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