2009/08/21(金)14:24
「オコナー半生の記」の巻
若干19歳ながらも、ホーム開催のブレディスロー杯にて栄えあるスタメンに名を連ねた、「ラビット(うさぎ)」の愛称で親しまれるジェームス・オコナー。
(/ω^\)
ちなみに私が19歳の頃は、宅浪の名にかまけて近所のアイス・スケート場に入り浸り・・・
平日の昼間、ガラガラのリンクで、ダブル・ループの習得に励んでおりました。(←何のために?)
その結果、スケートをすべり過ぎたおかげで、受験にもスベリまくってしまいやした。
(ノ∀`)
そんなこんなで、受験生のみなさん頑張ってくださいよ!!
(0゚・∀・)
それはさておき、本題です・・・
今や『空飛ぶ少年』『若き成功者』とまで現地メディアでは紹介され、天は何物を与えたのかが分からないほどに注目を集めるオコナー。
小学生の頃は、『オージー・ルールズ(オーストラリアン・フットボール)』で汗を流し、キックによるゲームの作り方やドロップパントなどのキッキング・スキルを、小さいうちから学んでいたそうです。
また、当時から非凡な才能があったようで、13歳以下の州代表にも選出されておりました。
その後、リーグ・ラグビーを経由し、「Nudgee College」というラグビー・ユニオンの強豪高校に進んだのを機に、3年前から本格的にユニオンを始める。
(/ω\) たった3年でワラビーズかよ・・・。かたやワテは・・・。
順当に頭角を現してきた感のあるオコナーですが、乗り越えてきた試練? もあります。。
高校の練習後、宿舎でふざけていたところ、仲間からショルダーチャージを受け、脾臓を破裂。
ヒイィェェ!!(゜ロ゜ノ)ノ
その時の痛さは、医務室に向かう途中で歩きながら気絶するほどだったそうです。。
((((;゚Д゚))))
そんな彼を支えたのが、生まれ持った負けず嫌いな性格。
幼少時代、近所の公園に行くとゴールを10回決めるまで家には帰らず。
はたまた、学校から帰ると毎日、兄と裏庭で一対一の抜き合いで1時間遊ぶも、勝つまでは止めず。
精神的にも技術的にもそれが元になり、今のオコナーを育てたようです。
(*^ω^)y-~~ 単なるワガママと紙一重ですが・・・
7月のブレデ杯では、いいとこなく終わったオコナー。
明日は、前回の失敗を糧に好プレーを見せることができるのでしょうか??
ちょいと、楽しみです。
画像引用:zimbio.com
記事引用:rugbyheaven.com