カテゴリ:あげまん・さげまん
人って何が怖いんだろう。
人によって様々なんだろうけど、私の場合、かつては人の目が怖かった。
こう思われるんじゃないか、 こう書くことで、言うことでこう思われて 「何もわかってないね、この人は。ハハハ!」 なんて思われるのが怖かった。
私という人物を上から俯瞰されるかの様に、一通りの私を一瞥し、ジャッジされることへの恐怖。
陰でなんて言われるんだろ、 どんなふうに悪口叩かれるんだろ、 馬鹿だねあいつ、って言われるんだろうか・・・
・・・だったんですよ。 そう、『だった』の過去形。
今はというと、違うんですよね。
昔は周囲が自分よりも全員が上に見えていたから、 どんなふうに見られるかジャッジされるかが恐怖で仕方がなくて。
自分の上に人を置いてしまうと、その人になんと思われるのか気になるし、その人がOKを出す様な答えに持っていったりしてね。 自分主体ではなくなる。
でも、そうなると絶対に窮屈になってしまって、その人の顔色を伺うんですよね。
こんなことが何度もあって、私は特にその集団のリーダーとか、座談会?などなどリーダー的な人に目をつけられて吊し上げを喰らうことが結構多くて、なんで私がこんな目に遭うのかな?と不思議でならなかったんです。
で、自分の上に人を置くことをやめた。 先生たるものを置くのをやめたんですね。 自分がてっぺんになればいいと。
だからと言って自分の下に人を置くわけじゃないけど。
なんか妙に敷居が高い人っていますよね。 めっちゃプライドが高そうで、話しかけるのも躊躇しそうな、そんな雰囲気を出している人って、 そうゆう雰囲気をあえてわざわざ出しているのかもしれないと思う今日この頃。(個人差あるでしょうけど)
で、話は戻って、どうして怖くなくなったのかというと、みんなは私の上じゃないと気づいたからです。
私は特殊な育ちをしてきているので、とにかく守られないで育ちました。 全くと言ったら嘘になるから、必要最小限の守りでした。
母親がいないということは、アゲの子にとって格好の餌食になることが多い気がします。
これは結婚してからもそうで、後ろ盾がいないということは、やられたい放題なんです。
そこで、言われたい放題やられたい放題だったわけです。 そしてあらゆる否定をされ、やることなすことを徹底否定されるわけです。
どんなに精神力が強い私でも、やっぱり世間に出ていくのは怖くなるわけです。
話し方も、説明も、頼まれごとも、何もかもを否定され、褒められることなく、「自分が社長だったらあんたみたいなの、絶対に社員にしないね」と言われ続け、私は社会では落第の人間なんだ・・・と思い込み、周囲が優れて見え、みんなと仲良くできない自分が情けなくて怖かったんですね。
でも、いろんなトラブルがあって(こちらが悪いわけじゃない)解決していくうちに、
あれ?みんな優秀じゃなかったの??? (自分が最低だと思い込んでいた)
となるわけです。 あんなに馬鹿だアホだと蔑まれてきた私でしたが、次第にそうじゃないことを知っていくんです。
意外とね。 特にサゲは、白か黒で物事を見ますね。 良いか悪いか。どっちか。
そんなサゲ常識に惑わされて、アゲの思いを完全否定されているケースが多い。 なぜなら周囲にアゲがいないから同意してくれる人がいないからです。
人が、特にアゲの人が、世間に出るのが怖い場合、 周囲の人がものすごく高く見えるものです。 で、ジャッジされている様な気になるものですが、ジャッジしている方も、そっちはそっちで幼いケースが非常に多いです。
『自分は安全牌を掴んでいるから大丈夫』みたいに勝ち誇っている人もいるし、アゲの自信のなさをあげつらって攻撃するものもいるんですが、意外と本当に、白か黒でしか物事を考えられなかったり、いろんな視点で見ることができない人が圧倒的に多く、そんな人が人をジャッジします。
アゲは魂レベルが高いですから、いろんな視点から見ることが可能で、彩り豊かに見ていくことができるんです。 そしてバランス感覚に非常に優れています。
サゲの場合、流行り物や良いものを入れたら良い、と思い込んでいる部分が多いので、プライドだけがお高いサゲが良いお店を出すと、良い食器、良い食材、かっこいい店内・・・なのに、スーパーで流れる様なBGMを大音響で平気でかけてしまう。 そこで一流の店員の様にツーンと振る舞って、アゲがきたら蔑みの態度をするとか。
または、香りを楽しむお茶のお店で、カレーを出していて、日本茶の香りどころじゃなくて、でも店員はかなりお高い雰囲気を醸し出していて、(特にアゲに対して)馬鹿にした様に接客するとか。 で、そこに来る客も強烈形サゲが多く、「こんなにかっこいいオシャレな店に来ているオレ」に酔い、アゲを見つけて蔑みの目をする。
何か抜けているわけです。
それは、良いものを使えば自分はかっこいい人種になると信じて疑わなくて、ツーンとしてプライドの高い人を演じて、人を蔑む。上から下まで舐める様に格好を見て、馬鹿にするとか。 ・・・まぁ、私が蔑まれたんですけどね笑(以前の話ね)
私はかつて、こんな人が怖くてたまらなかったわけです。 で、こんな人ほどアゲに対して攻撃をするんですよね。 傷があるからでしょうね。
アゲは、相手がひどい態度をするのは、自分がおかしいからだ、という結論に持っていく人が多いです。
真っ先に自分を疑うわけです。
でもサゲは違う。 真逆なわけです。
サゲから散々攻撃を受けると、自分がダメなんだと自信をなくしますが、今度よーく考えてみてください。
こちらが何もした覚えがないのにもかかわらず、そんな風にひどい態度をとるという心の幼さを。
で、もしアゲにはっきりした原因があったら、旗を振りながら拡声器持って堂々と正面から言いに来るんですから笑
その実態に気づき、自分はそんなひどくないのかもよ!? なんて気づいて欲しいなと思います。
多分、95%のサゲの中にいると、絶っっ対にそれを言ってくれる人がいないはずなので。
で、自分の上に人を置く、置かないの話ですが、 どうしても自分の上に人を置くと、その人と違う意見を持つことが申し訳なくなってしまうし、自分を相当抑えることにも繋がりますので、その辺を一応言っておきますね。 全てではないですが、アゲの場合、基本みんな一人で自由です。
上に人を置くなら、ある分野だけとしておき、全ての判断を委ねなくてはならないということはしないほうが結果として自分のためになると思います。
なぜなら、こんなこと思ったら先生の意見と全く違うし、申し訳ない、と自分を規制してしまうからです。
人は基本自由です。 アゲは一人でもやっていける。
でも、アゲはあまりに少ないから、背中押してくれる人がなかなかいないのが現実。
明らかに変で意地悪で間違ったものを押し付けられて、胸が苦しくなっているのなら、開放してあげて良いのかなと思います。
人は、苦しいのは本当じゃないんです。 体は答えを知っています。
本当の自分の答えに出会ったら、パーッと目の前が明るくなって切り開かれ、開放的になります。
どんなに正しそうな答えでも、閉塞感や緊張感、自分が至らない感じがしたら、それはもしかしたら違うのかもしれない。
アゲは答えを知ってます。 体が、ちゃんと答えてくれます。
私は、十数年続いた過多月経がピタリと治りました。 自分にとって正しい道に行くとは、自分が本当の意味で楽になることなんですね。
ジャッジじゃなくても、自分にとって何が正しいのか、間違っているのか、その判断を見誤ることのない様に、ですね。
そして自分にとって正しい道に行くまでに、タイミングと流れがあります。 その辺をじっくりと読んで、世間のいう幸せではなく、自分の思う感じる幸せに行くと、何もかもが軽く流れが良くなっていくんだと、私は思います。
やっと名義変更などの手続きが終わりました。 あとはパスポートだけ。
これまですごく忙しかったけど、まだ送れていないメール返信は徐々にやっていきます。 お待たせして申し訳ございません。
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最終更新日
2019.11.22 14:14:08
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