大分の先生の辞職で思うこと
大分の不正採用の話で元々の話の発端となった先生の1人(といっても本人は知らなくて裏工作が無くても合格だったらしいですが)が自主退職されたそうです。まあ、こんな状況で両親とも逮捕されているわけですから本人の名前とかも丸わかりなわけです。そんな中で仕事を続けていくのも結構たいへんでしょうから、仕方ないかなあとは思いました。ここからどれだけの退職者が出るのかわかりませんが(校長・教頭不在の学校も沢山あるようです)まあ、法に反した人はそれなりの処分を受けなければならないと思うしそれなりの再発防止策が必要だとは思いますがよく言われる、「子どもの真っ白な感受性を汚して」とか、「子どもたちに恥ずかしくないのか」とか、そういうのはどうなのかなあとは思っているのです。週刊朝日に武田鉄矢さんが(私苦手なんだけれどね)「子どもって大人が思っている以上にタフで大人がどうこう言う前に、自分たちで物事の良し悪しをジャッジしているものなんですよ。そしてその直感は大人達よりよっぽど正しい」と言われていて、私も何となくわかります。息子が中2の時、信頼していたバスケ部の顧問の先生が処分を受け3ヶ月間居なくなったことがありました。はっきり言ってうん、熱心のあまりとはいえ、ちょっと子どもたちには言えないなあと言う感じの内容でしたので、先生方も親たちも「何でおらんかわからない」「言えない」という態度を貫きました。そのお蔭でその先生はめでたく復帰されてからもとくに口さがないPTAの間ではなんかよく分からん噂なども流れておりましたが・・。子どもたちも、何となく処分を受けられたらしいことは勘づいていたと思います。でも、子どもたちは先生を無条件で、いえ、それ以上で受け入れました。「どうしていなかったの」とは聞きませんでした。叱られたとき、「自分かてなんやねん」とは言いませんでした。この人には欠点もあるらしいし、色々な面もあるようだ。でも、この人の言うことは正しいし、多分まわりのどの大人より信用できる。何より、この人についていったら自分が成長できる。クラブだけではなく、先生が処分を含めて2年間持った学年の生徒達も先生が転任で学校を去られるときは号泣の嵐でした。確かに法律に違反することは良くない。でも、子どもたちはそんなことだけは見ていない。何一つ悪いことはしないけれど良いことも何もしない大人達を沢山見ている。息子はこのニュースを見ながら「○○(中学の時の英語の先生。やる気ナッシング)なんか金積んで先生になったんかな~。でも、そこまでのやる気すらなさそうやしな~。何で先生になったんやろう??」と言っていました。子どもたちは、まあ、良い気持ちはしないだろうけれど思っているよりずっとしたたかで強いと思う。色々裏があろうがそれは大人の世界。子どもたちはそれよりもまっすぐに向き合ってもらえないこと、もっと、本質的なことで傷つくと思う。あまり、子どもの純粋さとか、子どもをダシにして先生達をせめるのは好きじゃない。悪いことは悪いこと。それで良いと思うのです。