地域と小学校との関わり
我家のシャクナゲです、見事に咲きましたさて・・本題です少子高齢化が進むなかで地域と小学校の関わり方云々については21世紀初めからその打開策の一環として「空教室の一般開放」交流の場を作って地域の活性化を図ろうとの構想が行われていた。子供も少なくなり学校も空教室を何とか利活用をする為の一挙両得、誠に結構な地域社会のユニークな取り組みであったところが・・・である10年前、あの忌まわしい「附属池田小・児童殺傷事件」が起こったのを契機にその運動は頓挫してしまった感が強いですね全国の小学校では・校門のカギ、防犯カメラの設置・関係者以外の「立入禁止」の立札・声を掛けられても知らない人とは対応しない等閉ざされた小学校となって事件の残した爪痕は重大かつ深刻である、今でもそんな状況下なんであろうかと心配します-----------------------------------自宅の近くには小学校があり風向きによっては元気のよい児童の声、先生の一斉放送が聞こえてきます一度は廃校になった小学校であったのですが戦後のベビーブーム、マンモス住宅団地の建設で統合した小学校が満杯となって分離せざるを得ず再び同じ場所に小学校が帰ってきたのです校舎の容姿は違っていても「小学校が帰ってきた」その嬉しさは忘れ難いものがありました私の38歳の時でした2人の子供も親と同じ小学校(現場所での開校は明治40年頃ですので4代は同じ場所の小学校という事になります)東には大山北には小学校が丸見え・・・です教育関係者でなくても自然と愛着心は湧いてくるものですね-----------------------------------------------2週間ほど前のことでした小学校の2年生が学級菜園を行うから「ご指導をお願いします」と公民館を通じて<菜園の会>に申し込みがあった。一般的にはこの対応は直接関係者のPTA(現在では「父母と先生の会」というのだそうです)が行ってきたのではなかろうか?聞けばこれは授業の一環(理科)でイベントでもなんでもないので平日の2,3時限に行うというものであった。・PTA動員と云っても父母が「野菜作り」が解っているわけではないから体よく学校に利用されたか・・・? と思ったのですが・・・・菜園の会員全員に呼びかけてもなかなか大変だから「こころやすい会員に頼んだ」と会長のについ男気(おとこげ)をだして出かけてみました田植えの予定があるけど、「どうせイモの苗植えですぐ済むだろう」と思っていましたが・・・・・集合した菜園の会員は会長以下7人、学童は2年生30名、場所は小学校内の運動場(グランドというべきか)の片隅の農園7アールの一部に夏野菜を定植する予定だという。予定の野菜は事前に子供の要望をまとめて会長が苗屋さんから仕入れてきたものでした。有機肥料が入った床土も事前に準備されていたには驚きましたオクラ20、ミニトマト10、ナス7、ピーマン5、ソウモロコシ3、キュウリ3、スイカ3農家顔負けのバラエティーに富んだものであった担任の女先生は勿論のこと校長先生もお手伝いです。子供たちの動作は機敏で楽しそうに会員と一緒にお話しをしながらの作業です 会員のF氏曰く「野菜作りは土つくり、草取りからです」というと担任先生は「皆さん聞きましたか・・・よく覚えおきましょうね」と子供たちに伝えることも忘れない。限られた区画の面積なので「狭い間隔」だったが上記の苗を全て植え付けしました。説明しながらの授業ですので所要時間2時間はアッという間に過ぎてしまった。 スイカも3本植えました最後は<質問と感想>の時間です「ポット苗は水を掛けるのではなくバケツに水を汲んでその中に浸けて抜くということに感心しました」「ここで習ったので家に帰ったら早速お母さんと植えてみたいで~す」「なぜ竹を立てるのですか、いつまで水をやるのですか?」となかなか2年生にしては核心に迫った質問も出てきた。<会長>「水だけでは植物は美味しい実を付けるのではありませんよ、追肥といって実が成る頃にもやる肥料がありますよ、野菜も病気になったり害虫が食べので必ず観察日誌をつけて元気がないようだったらすぐ先生に言いましょう」<校長先生>本日はありがとうございました、校区の先輩方の指導を受けるのを子供たちは楽しみにしていました。夏休みの適当な頃に「収穫祭」を行う予定にしておりますので是非とも今後とも宜しくご指導ください。と丁寧なご挨拶があった。会長曰く「学校に一番近い今津さんが朝飯前の仕事に時々来てみるんだな」・・・と私「まさか~ 有機肥料に無農薬だなんてきれいごとを言ったのではこの野菜は全滅だ」コリャーえらい事になったぞ・・・・とキツイ冗談に面食らってしまった・キュウリ等のツル物は今後の管理が必要で子供たちで出来るわけがない、会員で面倒をみてやらなければならないな。会員の7名はそのように思ったに違いない校長室でお茶を頂き(実に校長室に入るのは30年ぶり)談笑して解散し(11時30分)午後から「ヒカリ新世紀」の田植えを行って・・・・やっと我が家の田植えは終了しました<1日経った本日>にぎやかな声がするのでふと小学校を見ると「田植え」が行われていました野外学習は5,6年生の高学年とJA青壮年部、PTAが主体となって毎年実施で20年間も連続して行っているのは珍しい事ではなかろうか・・・と冗談ではあるが戦時中の「国民学校」を彷彿させる1週間でありました。地域社会の連帯意識の高揚を目指したこの授業も近い将来には必ず追い風が吹くに違いない、時代が変わっても人が友を、家族を、地域を想う気持ちは変わらない。 そんな社会がもう一度来るのを期待しながら・・・・・・ <さくらんぼ>この一粒一粒が子供たちのように思えてきました 熟すのを待っていると野鳥が全部食いつぶしてしまうので早めに収穫しました。 少し長くなりました、つたない文章で最後までお付き合いありがとうございました。