Day by Day(その日 その日)

2008/07/06(日)16:33

佐野川余話

歴史を語る(45)

自宅の直ぐ上の大地500haは江戸時代は長者ケ原と称し水利なく未開の原野であった。 ここに天上川を引いて水田を開こうと思い立った賢者がいた 掘削は元和4年石田村庄屋五郎左エ門が鳥取池田藩に出願して鍬入れしたのが始まりであった。 爾来240年幾星霜吉持家累代献身的尽力により断片的に工事が進められたが成らず、同家の請願により鳥取藩が乗り出し安政5年着工2ケ年余、文久元年6月開通をみた 工事は極めて難所難工であったが藩の左方長役「佐野増蔵」の総指揮のもと動員された莫大な 労力と資金の調達によって強行成就しその名も佐野川と名付けられた。 水路は8.8km日野川の清流こんこんとしてここに流れ待望の米作が始まった当事の感激は計り知れないものがあったことだろう 爾来この佐野川は受益者負担として保全、保守されてきた。 今日はこの佐野川の草刈りであった。防火用水も兼用しているため非農家の方にも気持ちよく協力を戴いている。 水田の耕造改善(区画整理)時にこの佐野川も大改修が行われて現在に至っているが美味しいお米が食えるのはこの川と水のおかげある 自分の水田は保守しても用水路までは気が回らないから定期的に保守しようということになっている。 梅雨明け前か早朝からムシムシして10時には既に29℃を超えたが皆さんの努力により1kmの水路(各集落で区画分担保守しています)が瞬く間に見違えるように綺麗になった。 例年なら公民館で昼食して懇談するのだが余りの暑さと重労働のため各自弁当、お茶、ビールを戴いて自宅で慰労することにした。 一休みしてこのBLOGを掻き終わった。 <記念碑文から抜粋> 長者ケ原原頭仰げば大山の秀峰俯瞰すれば渺々たる日本海ここに記念碑を建て改修を祝し温故知新先人の功を併せ記録する。 佐野川の流れ未来永劫に清くあれ。 昭和六十二年三月吉日    

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