カテゴリ:農業,園芸
梅雨前線に近い太平洋側ではあちこちで猛烈な雨のようですね
お見舞いいたします。 この前線が太平洋側、日本海側と上下すること4回目くらいでしょうか、上下するなんてあまり記憶にないパターンですね 最後の梅雨明けが日本海側を狙っているのではないかと気がかりです 今週は少し晴れ間もチラホラしますので外作業もやる関係上ドッと汗が出て夕飯が待てなくてキューと一杯飲んでPCに集中できず失礼しております 先日の日曜日は小雨の中、一級河川「日野川一斉清掃」を行いました。 といっても管理道路の周辺のゴミ拾い程度なんです 初期は河川の水際わまで行って奉仕活動したのですが、これは危険だということでこのようなお遊び程度なボランティアになっています。 各集落で分担範囲があります、30分程度のゴミ拾いで自由解散となりました。 地元に帰って次は佐野川の恒例の「雑草狩り」が始まりました。 これはとっても素人が出来る作業ではありません。雑草との格闘が始まります この佐野川は農業用水路で天井川となって最高、毎秒2トンの流水を流す事が出来ます。 ------------------------ <佐野川記念碑から> 佐野川掘削は元和四年地元の庄屋吉持五郎左エ門が鳥取藩に出願して鍬入れしたのが 始まりで 、爾来二百四十幾星霜断片的に工事が進められたが完成成らず、 同家の請願により藩が乗り出し安政五年着工二ケ年余、文久元年六月開通をみた。 工事は極めて難所難工であったが藩の左方長役佐野増蔵の総指揮のもと動員され た莫大な 労力と資金の調達によって強行成就しその名も佐野川と名付けられた。 通水百二十有余年、画期的な事業が完成し水利の及ぶところ五百ヘクタ-ル余の水田は勿論地域住民の恩恵は計り知れない。 以下省略 ------------------------ と記念碑は名調子で語っています 昭和53年頃までは川幅5mはありました。 総ての堤防が土盛りで漏水も随所にあって末端ではいつも水争いが絶えなかったそうですね 昭和54年、昭和の国土大事業「耕地整理」によってこの佐野川も3面コンクリートとなり清流が満々と末端まで流れてきた感激は忘れ難いですね ところがこの頃からわが国では米が余りだしてあちこちの水田が転作を余儀なくされました。 皮肉なものですね。 -------------------------- と言うものの佐野川には関わりないことです。 今年も雑草が小山のようにはびこっていました 近年この近くに国道バイパスが開通したものですからその傾斜地からクズの大群が攻め寄せて佐野川の管理道路を乗り越えてきました。 <ガードレールを乗り越えた>放置すれば秋には道路も埋め尽くすでしょう。 <左下が国道バイパスです>この崖から這い上がって来ました 佐野川は右ガードレールに沿って流れています この道路は水路の点検管理道路になっていて関係者以外通行禁止です。 <きれいになった>ここは上記とは別の場所です なんと軽トラに15杯分雑草が・・・・・ 約30人で3時間を要しました。カンカン照りならグリコ(お手上げ)ですが曇りだったので能率よく作業が出来ました 近年までは「慰労会」がSETで地区の公民館祭で世間談義に花を咲かせたのですが皆さん年を取りました(笑) 弁当、ビール1本、お茶を各自いただいて現地解散です 寂しいなあ・・・・ ※以上の写真は作業終了後に撮ったものですので誰もいません。 ひと寝入りしてスイカ畑に出かけてみました <スイカ>初生り・・・・判りますか。げんこつ程度の大きさです 今日は8日ですね、あれから4日経ちました。 ミツバチがいないので人工交配しなくてはと9時頃に出かけてみるとなんとブンブンと日本ミツバチがたくさん咲いた花に寄り付いているではありませんか。 嬉しかったですね 日曜日は1個だったのですが瞬く間に9個のスイカを発見しました 早く大きくなって欲しいものだと思いながら追肥をやりました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[農業,園芸] カテゴリの最新記事
|
|