カテゴリ:歴史を語る
前回は揚水発電所のレポートでした
マイクロバスの中で考えてみました毎秒300トンの放水でポンプ水車を回し7時間で池の水は空っぽになると貯水量は・・・・? 300t/秒×3600(1時間…秒)×7H(7時間)=756万トンとなりました パンフでは670万トンとなって少し違いますが、7時間でダムの水を空っぽにするなんてダムの底を覗いてみたいです ※ちなみに黒部ダムは2億トンとケタ違いですね それと今回聞いた話ではないのですがこの俣野(またの)ダム建設による埋没集落は1戸もなく例外は氏神さんだけだったと誇らしげに語っていた社員の説明も忘れ難いです 30分ほどの大山ハイウェーイ?を走り昼食は「大山おこわ」付の美味しいご馳走でした ------------------------------ 午後の研修は 「円流寺、重文阿弥陀堂」の寺院見学です。 <余談ながら> 大山の発音について 大山と書いてほとんどの方はオオヤマ、ダイサンと発音されるのではないでしょうか? 山をセンと発音するのは仏教伝来の頃での呉音の発音であってその後遣唐船往来の頃入ってきた漢音に乗っ取られサン、ヤマという現在の発音になってしまいました。 「せん」というのは古い言い方、呉音がそのまま現在でも使われているということです。 論語では呉音では孔子さんの事をクジと発音したんだそうですね~ 以上はNHKラジオ第二放送、カルチャーアワー「漢詩への誘い」講師(石川忠久氏)の解説です(西暦2001年放送) 「船上山」を地元の方はセンジョウセン、岡山県境に「蒜山」という山がありますがヒルセンと発音しますがこれも同じ由来によるものです。 ---------------------------------- <大山寺について> 中国地方最高峰大山は、古くは山岳仏教信仰の対象とされてきました。 ポツンとした独立峰で日本海からそのまま上陸したような山、「天空から降りてきて神さまが宿っているに違いない・・・と」古代の人は考えました 小生の想像です(笑) 早くから山岳修行者が入り「修験の山」として知られるようになりました。 大山の中腹の大山寺は奈良時代の養老2年(718)の創建と伝えられています。 大山寺は中世に最盛期を向えたといわれ近年、憎坊の一つが調査され14,5世紀頃の豊かな経済力、文化交流を示す出土品が多数確認されています。 隆盛時は三院四十二坊もあったというから驚きです 寺領内では鳥取藩とは異なる独自の政治体制が敷かれ地蔵信仰はもとより、牛馬信仰も盛んとなり、大山寺博労座で開かれる牛馬市は日本三大牛馬市と云われたそうです。 幕藩体制が崩壊したその後寺領を失った大山寺は明治政府太政官令「神仏分離令(廃仏毀釈運動)で大山寺号は失われて栄枯盛衰・・・・ 僧侶の多くは大山寺を去って行きましたがもともと「葬式寺」でないがため実入りが乏しくお布施、宿坊賃で維持を図っていたらしく僧侶も数名で維持をしていたと記されています。 現在では隆盛時42もあった宿坊のうち、当時の面影を残す茅葺きの建物は5棟のみとなっています。 大山寺領内を散策するに彼方此方石垣のみが残り青く苔むした姿をみるとその栄枯盛衰を垣間見る思いが致します ----------------------------------------- <大山寺円流院> 大山寺円流院は夏山登山口の近傍にありました。 老朽が進みH21年再建されました、詳しい事は解りませんが落慶のお祝いにかどうか 本堂の天井にはびっしりと水木しげる先生の「ゲゲゲの妖怪絵」が隙間なくはめ込んでありました。 <妖怪画天井> 10列×11行=110枚 1辺90cm杉板の直筆です ご本尊は「地蔵菩薩」です くどくど説明するより前回同様HPでどうぞ (汗) 大山寺円流院HP 寝転んでたっぷりと妖怪画を堪能し次は長い坂道を(15分)歩いて 最高齢88歳の方は勲章ものですね ------------------------------------ 重要文化財「大山寺阿弥陀堂」へ着きました この阿弥陀堂は室町末期(1552年)の建物で大山寺境内に現存する最古の建造物です 正面、奥行各5間(8m)の正方形平面で造られており頂上部は地面から7mとなる屋根は柿葺きの宝形造りで森閑とした佇まいの中に在りました。 <阿弥陀如来坐像> この木造阿弥陀如来坐像は丈六(1丈六尺)266cmの仏像で製造は1131年、栃の木をくりぬいて一木造で作られたものである。 写真では一部しか映っていませんが両脇侍像は、正面に向かって左側が勢至菩薩立像、右が観世音菩薩立像です。 <阿弥陀如来とは>私たちの今際の際に枕頭にお見えになり極楽浄土への往生成仏のための身近な礼拝対象として信仰されています。 若いのに仏教世界に堪能なお坊さんの説明にしばしうっとりして聞き入りました。 住職さん「遠慮は要りませんよデジカメ全盛時代ですからね、たっぷりと撮影して下さい、良かったらお賽銭もお忘れなく・・・」 帰り道は枡水高原の「ミルクの里」でゆっくり下界を眺め冷たいもので喉を潤しました。 午前中は科学技術、午後は歴史探訪と内容の濃い研修会となりました 次回は今月22日 健康講座「目の話」です フロンガスによる「オゾン層破壊」による ・白内障 ・皮膚がん が増えているそうですね その白内障のお話が聞けるのではと期待しています。 柄にもないレポートで眼も疲れました・・・それではこのあたりで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史を語る] カテゴリの最新記事
|
|