カテゴリ:歴史を語る
<あとがき>
また、あの早春賦の場所に戻ってきました。 この一枚の古いモノクロ写真をご覧ください。 撮影:昭和37年4月下旬 高校時代に大山遠足(鏡ヶ成)に行っての帰り道、7台のバスを6台目の後部座席から撮ったものです。 道路はガタガタ道、バスは揺れたのですが旨く撮れました。レンズシャッタ55mm これまでの「大山」の山容は、子供の頃から自宅周辺から見た姿しか見たことがなく何処に行ってもこの東側から見た「伯耆富士」姿が 前後になって私に付いてくるだけでした ところが、この車窓から見る南側の姿に驚いてしまいました。 自宅から30km程度なのですが当時は用事もないのに他地区まで出かけることは考えられない時代だったのです。(ほどよい範囲内に買物店、村医者、〒、役場が存在した時代です) 盛り上った岩石を大マサカリで南北を叩き割ったような「崩壊美!」に圧倒されこれが日頃見ているあの大山なのか バス後方のずっと奥の右側には、ポツンと茅葺小屋が偶然にも写っています 右は墓地の一部が、大松と一緒に。南大山を一望に全てが主人公のようで白黒写真といえども 学生時代の懐旧さとも重なって最もお気に入りの一枚になっています。 ーーーーーーーーーーー 後年になってこの場所に出かけて同じアングルで撮ってみました 歳月は経ち、既にデジカメ時代になっていました。 山は動かず、茅葺小屋も健在なのが嬉しかったです 撮:H16/12 きみまろ氏じゃないけれど、「あれから40年!」 光陰矢の如し 道路は舗装され、墓地は移設が始まっていました。 撮:H16/3 が、しかしあの巨木はどうなったでしょうね? 松くい虫にやられたのかそれとも こんな姿になってしまっていたのです お寺の改築建材にでもなったのでしょうか 撮:H14/12 <茅葺小屋と南壁>パノラマで撮ってみました。 撮:H16/12 ーーーーーーーーーー 鳥取県は従来より(H1~3年)、童謡、唱歌のふるさとづくりを推進しており、県内の童謡唱歌の風景を県内の洋画、日本画家80名が個性豊かに書き上げた一枚がこれ(下)の写真なのです。 記事は新聞社が付し週一回(日曜日)2年間にわたって連載されました。当時はまだカラー版は珍しい時代でインクの匂いを嗅ぎながら讀んだものです。 このページは連載が終了し展覧会が行われた時の冊子をコピーしたものです(県振興課承認済み) すべて80枚が歌碑になったのではありませんが、特にこれはそれだけの設置条件が揃ったのでしょうね後年、立派な歌碑が出来上がったのです。平成8年11月建立 撮:H15/4 撮:H18/5 五輪塔と歌碑、茅葺小屋、大山南壁(遠中近)とを取入れ素敵な雰囲気の光景です。 <春を待つ>早春賦に相応しい場所ですね 撮:H17/3 幾度か降った雪が圧雪となりそれにまた降雪があり幾層にも重なっているのがお判りでしょうか? 雪国の生活は辛いですね、それだけ「春を待つ心」は一層強いものがありますね。 高校時代の一瞬の思い出の地は皆さんもお好きなようで今もなおこの「茅葺小屋と大山」はファンの名所となって週末になるとたくさんのカメラマンの「お気に入り」スポットとなっています。 <余談ですが>冒頭写真の冬(昭和38/1~)今尚語り草となっている「38豪雪」がありこの地域一帯はスッポリ雪に覆われ「災害救助法」が発令され、ヘリコプターが何日も往復していたことを思い出します。 ※それぞれの写真の撮影時期は異なりますので承知下さい。 長のお付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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