第38回皆生トライアスロン大会 7/15
梅雨明けが早くしかも、台風が日本列島に雨気団の置き土産をして(とTVは言っています)張り出した太平洋高気圧の淵の北九州、豊後水道、紀伊水道・・・の各地に太平洋の湿った暖気流が流れ込んで4、5日間にわたり大雨を降らせ未曽有の大災害となってしまった。ーーーーーーーーーー自分は関係者ではないので「これではトライアスロンどころではないな・・・」と思ったのだが予定通り7/15(日)第38回皆生トライアスロン大会は行われました参加選手 個人の部(981人)、リレーの部(60組)は早朝の皆生海岸を一斉にスタートしたSWM3㎞ 鳥取県西部地方BIKE140km 炎熱の弓浜半島往復42.195km大会前に発生した西日本豪雨の影響で出場選手の取り止めが相次ぎ、最終的には個人の部900人、リレー57組が総延長185.195kmの過酷なレースに挑んだ。 以上<日本海新聞>ーーーーーーーーー毎年、この競技のコースで自宅から徒歩5分の広域農道のポイントが急勾配なので陣取って声援を送ることにしています急傾斜地区なので自然とスピードが落ち、渾身の力を絞って登坂する表情を・・・とカメラで待ち構えるがほとんどの選手は尻を上げ顔は俯き加減で殆ど無理のようですが、それはトップから***番目くらいで、完走だけを目的とする選手の表情は豊かですね。「がんばれ、頑張れ・・・先は長いぞ」なんて風変わりな声援を送ると、ニッコリとして「有難う、頑張ります」とここは休憩所ではないので何のサービスもしてあげられないのが残念です。約40分ほど撮ったり声援したりして周囲を見渡すと30人ほどの応援客もいつの間にか2,3人程度となってしまいます。お目当ての選手が通過すると急いで他のコースに行って帰り道での声援に向かうのではないかと思います。ーーーーーーーーーートライアスロン競技はいまでは珍しくもありませんが、鉄人レースの発祥の歴史を持つこの大会は38回となりました。昭和56年?頃のことでした。当時出来立ての広域農道で軽快自転車(当時のそんなバイクはこのように呼んでいた)に乗った若者が梅雨の降りしきる中でずぶ濡れになりながらグレーチングの溝にタイヤが挟まりズデン、ズデン・・と転て痛そうな光景に出会いました「一体、あの連中はバイクを取り上げられた、雷族のなれの果てか?」と嘲笑しながら見ていたものでした。 第一回大会、田舎の青年から見た率直な感想でしたーーーーーーーーーーーSWIM RUN の一場面はWEBを拝借しました 過去の大会です<SWIM>3km<RUN>42.195km<GOAL> 成績結果に興味の方は下記をクリックしてください。 38回大会記録速報<後記>酷暑の連続で気象庁は異例の「高温注意報?」発令して注意を呼び掛けています。夏休みに入り各地ではイベントのラッシュ!です。 「自分の身体は自分で守る」外仕事はなるべく早朝に行い、昼間はなるべく外出を控えるようTVも警告を発しています。