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カテゴリ:自作小説。
昨夜未明、hironoviewの自室から、
2年くらい前、授業中に書いていたと思われる とある小説が出土しました。 発表させてください。 これは、大学の友人の半生を 少しだけの脚色を入れて書いてみようという テーマの文章だったようです。 その日、隣に座って授業を受けていたので お互いのを冗談半分に書いた覚えがあります。 「ヒトシの半生」 1984年6月、ナイル川のほとりに私の人生は幕を開けた。 生後2秒だったにも関わらず、 父と医者から胴上げをされたことを覚えている。 あまりにショックだったのだろう。 私の「もっとも古い記憶」はこの日のことだ。 私の父親は、かつてこの集落を統轄していた豪族18代パブロだった。 ・・・といっても、 父は、私が正確な物心がつく前に、 「まだ見ぬ世界を見るため」と、 海の彼方へと消えていったそうで、彼に対する明確な記憶はない。 私の「ヒトシ」という名は、 母ジョセフィーヌが語るところでは、父がつけたものだそうだ。 ご存知の方もいらっしゃるだろうが、 「ヒトシ」とはナイルの言葉で「雨雲」を意味する。 ...1984年初夏。 ナイルは雨季にも関わらず、 全く雨が降らない日が続いたという。 当時の副総長だったケン・ジャクソン3世は、パブロに 「このままではナイルの民は死に絶えてしまいます」 と嘆いた。 パヴロは「それならば」と、 生まれ来るわが子に、 雨を呼ぶ赤子として「ヒトシ」の名を与えた。 私が生まれてすぐ、ナイルにはおだやかな雨が降り注ぎ、 平穏は甦ったという。 雨を降らし、村を救った私は、ナイルの民から 「神の子」と呼ばれるようになった。 「ヒトシ」が、その年の流行語大賞に選ばれたことも、 加熱した私への思いを如実に物語っている。 私は、皆からもてはやされるような存在だった。 あの頃の私は、少なからず テングになってしまっていたのかもしれない。 「バモス」と呼ばれる、集落の市場へと行けば 商人達はいつもミカンやブドウをくれた。 それも、1ペダラも払わせずに、だ。 若かりし頃の私は、 世界は、自分にとっていいように回っていくものだ と強く信じていた。 ...それから、10年の時が流れた。 15歳になった私は、 ナイル川から程近いピエッタ村の片田舎に 事務所「チャ・オズ」をかまえていた。 ピエッタ村の産業は、 擦り下ろしたラクダのこぶから出るエキスを 美容商品として売ることで成り立っている。 私は、この産業をサポートする仕事を買って出たのだ。 全てが順調であり、仕事は、軌道に乗っていた。 そんなある夏の日のことだ。 私がお気に入りのホットカーフィーをすすっていると、 ポストがコトンと音を立てた。 目をやると、そこには手紙が1通入っていた。 差出人の住所は、日本だった。 「よしてくれよ、ちっぽけな島国がなんの用だ?」 私は独り事を呟きながら、手紙の封を手荒に開けた。 「日本こそ、本当のあなたの力を活かせる場所です」 簡潔に言うと、そこにはそういう風なことが書いてあった。 「神崎 良」という差出人は、 私が日本で成功を収めることが出来る理由をまとめ、 つらつらと列挙していた。 「また...このテの話か」 だが私は...何故か、この手紙を破り捨てはしなかった。 今にして思えば、 私は「運命」と呼ぶにふさわしい強い力に 引き寄せられていたのかもしれない。 私は、四ヵ月後、日本へと、飛んだ。 ...小説はここまでなんですけどね。 おそらく終業ベルが鳴ったんでしょう。 でもまあ、よくこんなでまかせが言えるなと思いました。 おまえ、むしろ脚色しか、ないだろ、っていう(笑) なんだよ「ペダラ」って。 実際、ヒトシロビンちゃんはこんな人じゃないのでご安心を。 (生まれは余裕で日本です。) 大学1年のころから、こんな風に彼を扱ってたんですね☆ なんだかごめんよ、そしてありがとう(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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