2007/09/03(月)22:27
爺大いに語る 1 たまにはまじめにフィクションでも
むかしの人のことば
「フィクションの本質はエンターティメントだ。
文章は誰かのために存在する。
ノンフィクションは歴史に似ている。
誰かのためにあってはならない」
そして爺は大いに語りだした。
「今日は君達に仮説について語ろう」
その人物は大きな岩の上にいる。腕章をつけた記者たちは今日は神妙な面持ちで彼の言葉を待っている。
「君達はすぐに何故なぜナゼと騒ぎ立てる。頭の中が整理されていないから、目の前のことしか見えないのだ。では聞くが君達が聞きたいのは何だ?落ち着いて考えるとわからないだろう」
記者の何人かは何かを言いかけるが声がでない。なおも言おうとするがやがてあきらめてしまう。多くの記者は無言でいる。
「物事は仮説をたてて区分していけば思いもかけず見通しがよくなる。そうすると何を考えればいいのかがはっきりしてくるのだ。分かることの喜びと分からないことの苦しささえ、君達にはわかっていない。」
爺は不敵な笑みを浮かべて記者の顔を見渡した。記者たちは静かに大きな爺を見つめ、次の言葉が発せられるの待った。
季節は秋、ただし夏のほてりがそこかしこに残っていた。
(つづく)
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