大平宿(飯田市)
3日、飯田市と南木曽町を結ぶ道を初めて通った。長野県の伊那谷と木曾谷は間を中央アルプスに阻まれて往来が困難なところである。現在は木曾峠(大平峠)、権兵衛峠、清内路峠の3本のルートがある。このうち権兵衛街道は近年開通した新しい道である。道の良さから行けば、権兵衛>清内路>大平の順に悪くなる。この狭隘な道は車のすれ違いが困難な箇所が多く、林道と呼んでも良い道でバスなど大型車の通行は困難であろう。ずっと怖い崖っぷちを走り、未だ上るのか?と思うほど延々とつづら折りの登り道が続く。時折対向車線を自動車や二輪車が来る。大型連休中とあって、すれ違う車輛は二輪車の方が多かった。向こうからダンプカーでも来たら後退して避けなければならないので。ひたすら大きい車が来ないことを祈りつつ進む。それでも沿道には案内板や道祖神が頻繁に設置されていて、こんな山道にと不思議に思った。運転が嫌になってきたころ、忽然と山中に建物が現れた。飯田側から行くと一番最初に目に入る建物。廃屋に見えたが、蜂蜜を売っていた。やがてちょっとした広場と駐車場があったので車を停めた。「大平宿」の石柱。宿場町の案内図。街道に沿うかたちで集落がある。今回通行した大平街道は江戸時代中期に、伊那谷と木曾谷の連絡のために開かれた道とのことで、大平宿はその道にあった宿場町である。伊那谷を南北に貫く街道は伊那街道(三州街道)、木曾谷を進む街道は中山道であるので、大平街道は二つの街道を結ぶ短絡路になる。旧街道は舗装もされずにそのままの姿を留めている。景観保護のため車輛は原則として乗り入れ禁止である。ほとんどの家は廃墟同然であるが、いくつかは整備維持されていて古民家宿泊体験も可能との事。ちょうどこの日も滋賀県から来た若者4人組が宿泊を終えて撤収しているところだった。宿泊はすべてが自炊、近くに売店も何も無いので、すべて自前で持参する必要がある。夜の星は綺麗だろうが、お化けが出そうな廃村でもある。肝試しが出来そうだと思った。どこか郷愁的な趣もある街並みである。映画のロケにも使われたとのこと。宿場町にあった学校。現在は宿泊研修施設との事だが、ほとんど使われていないような印象を受けた。この大平宿は明治~大正時代に隆盛を極め、戸数七十余り、学校や郵便局もある集落であったとの事。しかし、伊那谷を通る鉄道(現飯田線)の開業や、昭和30年代の清内路街道(国道256号線)の開通でその地勢的意義を失い、基幹産業(炭焼き)の衰退もあって人口流失が続き、遂に昭和45年、最後まで残った28戸が集団移転して、集落は遂に廃村となってしまったとのこと。それから50年ほど経過しているが、建物はある程度の手入れがなされている模様で、現在も時が止まったような姿を残している。駆け足であったが、勉強になる集落の散策となった。その後は南木曾町へ抜けると、どこも観光客で大混雑である、道の駅、幹線道路沿いの飲食店はどこも車が溢れ、店の外まで列が出来ている。ツーリングの二輪車も無数に見かける。コロナなどどこ吹く風と言った印象を受ける。木曾福島の人気そば店「くるまや」の前は近くの橋の上まで続く行列が出来ていて驚いた。同町の和菓子店は芳香堂と田ぐちがよく知られてるが今回は芳香堂で名物のそば饅頭を購入した。駆け足のドライブ旅行であったが、コロナ禍で県外、海外など遠くに行けない中、散策出来た事は良い収穫となった。