首くくり栲象(くびくくりたくぞう)氏2018.3.31.14時頃逝去されました。
噂に聞いていたが、亡き人となられてしまった_‖_合掌
▽情報元記事への我がコメントのコピペと加筆 ↓
宮崎 二健
「密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman」2014/03/19公開の動画
■ 1:40~大井恒行氏が出現して驚いた!
何を隠そう、わが若かりし頃(30代)の俳句活動の先輩であり、
まだ珍しかった回文俳句の作者として、
大井氏自著で最初に取り上げて紹介してくれた人だ。
現代俳句協会(当時金子兜太会長=「アベ政権を許さない」の揮毫者、2018.2死去)と、
(ちなみに私自身はリベラリストでもグローバリストでもない。縄文人だ。翼では尾翼。)
俳句同人誌「豈」への参加を手引きしてくれた恩人だ。
おかげさまで俳句の勉強と俳友ができた。
氏は当時は弘栄堂書店の社員で、同社が発行する
前衛俳句誌「俳句空間」の編集者の要員だった。
私のアバンギャルド俳句への傾倒は、
この雑誌の10句連作の投稿欄から始まった。
故攝津幸彦と池田澄子選で何度か入選して勢いづいた。
話せば長くなるが、この流れから、当店アジトの
「もののふの会」という超結社月例句会が始まり、
国文学の気鋭先鋭が集った。やがて文壇ならず分断して、
崩壊した。この時の反もののふの女闘士は、
東京のどっかの市議会に立候補して、
ロックンロールのカリスマ・内田裕也を
応援演説に迎えて頑張っられたようだが落選した。
その後、君が代の歌詞をもじってツイートしたのが
話題になって、愛国者らから非難された事は記憶に新しい。
話は戻って、
もののふの会残党数名で1998.3.1「独演!俳句ライブ」を
立ち上げて、細々ながら今日に至っている。
20年も継続している俳句川柳朗読会としては、
世界最古の伝統を誇っている。
大井氏は、恵比寿西口の野田醤油系の
イタリアレストラン「コメスタ」でジョイントで行われた
「俳ラ5」の時に観客で来てくれた。
これは唯一、店外へ飛び出しての「俳ラ」(略称)だった。
木村哲也先生と面識を持ち、
以後多大なる影響を受けることになった。
そんなわけでスズキヤスコ氏経由のご縁賜った
首くくり栲象氏の前に無言脇役乍立てた事に感謝し、
記念写真にも収まった幸運の恩を忘れじと思う次第である。
絞首刑健康法の父逝けり 二健


↑2018.1.21 Yotsuya3chome SAKASKI
↑事後の記念写真と、本番中の小生(終始無言糸車回し役)
↓この催物(記事既出)に観客で来られたいた首くくり栲象氏や風月純史氏
