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論点を整理しよう!

わらしべ長者さんの日記
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論点を整理しよう! (67) 04月13日(火)

人質の家族の家族に対して嫌がらせの電話や葉書などがすごいらしい。

当初、家族は政府へ「要求受け入れて自衛隊を撤退させて」と言っていた。
私はイラクへの派兵には反対だが、
それと今回の事とは論点が違うように思う。

市民団体がこれを機会に派遣を考え直そうと盛り上がるのは自由だが
人質当事者の家族がそこへ論点を持っていくのは違うように思う。
例えば要求が「殺されたくなかったら100億出せ」だったらどうだろう?
家族は政府に「国庫から100億出して!首相に会ってお願いしたい」
なんて言って通るだろうか?

論点が錯綜してるのは被害者家族だけではない。

「人質は自衛隊派遣を反対していたから自作自演ではないか?」
なんてそんな話も掲示板で盛り上がっていたりするが、
もし可能性があっても今は憶測でしかないわけで
今救出の動きをすることの賛否の論議には成り得ない。

「危険は分かってるのに勝手に行ったのだからほっとけ」
という意見もあるが、例え、危険な地域に自ら行っていても国が
勿論全くほったらかしで見捨てる事も論外なわけだし
(雪山登山に軽装で出かけて行方不明になっても公的機関は動くしね)

ただ、私が家族なら例え、自衛隊派遣がもともと反対であったとしても、
「子供は全てを覚悟で行っておりますが、何とか助かるものならお願いします」
としか言わないかなとは思うけど、それは当事者でないと分からない感情も
あろうから、そう言いたいとは思うが
私ならそんな事は言わないなんて今言い切る事も無意味だ。

また、話は変わるけど、
最近朝鮮の拉致家族の言動に最近疑問に思う部分が大きくなってきた。
「朝鮮に経済制裁をしてくれ!」という話は、
私にはある意味「戦争を仕掛けましょう」というレベルの要求に思える。
なんとか帰ってくるのが幸せであるのなら帰ってこれるように国が動くのは
当然だし、被害者の復帰を支えるのも異論など全くない。
しかし、他の人(朝鮮の国民全体や、日本の国民全体)を巻き込んで
制裁しろなんて、そんな話を要求するなどというのは
勘違いはなはだしいようにも思う。そんなものに巻き込まれたくない。

助けてくれと言う気持ちも、政府がふがいないのも分かるが
事件の当事者の家族の
分を越えてる要求の内容の話や
論点をごっちゃにした要求を
「救出の為に」と要求する事は過大要求発言のようで
民意は被害者には思いの外の逆風になる構図もあるように感じる。
そうなると本来見方の人までそっぽを向いたりする。

しかし、論点を分けるという事は人はすごく下手なようだ。
そこを利用する人もいれば
不本意に足をとらわれる人もいて
整理できず巻き込まれて一緒に錯乱する人もいるし・・・
会社でも家庭でもよくこれですれ違いが起きてるのが
ハタからはよく見える時がある。

賛成や支援を求める場合には
論点を広げすぎない、絞ることがポイントなんだろうなと思った。

p.s.ここに書いた事も私の感覚でしか無いわけで「国家」はどうあるべきかという
視点に論点をあわせると私自身もまた意見が変わってきたりする。


賛成と反対は実は入組んでる! (24) 04月14日(水)

これはビジネスや日常にも通じる事のように思えるが
例えば、反対だと云う理由が世間に100種類あって
そのうち70は私もそう思うけど30に関しては「それは違うだろう」と思ってる。
そして、賛成と云う理由が世間に100種類あって
そのうち30は分からないではない。ってのが実際のところ。

考えると当たり前だけどそれが自分でも分かってなかった気がする。
「賛成」という人は「賛成」である全ての理由に賛成してるわけではない。
例えば割合的にも
9-1、7-3、6-4、それぞれだし
同じ割合だったとしても
仮に100の賛成理由のうちどの理由を集めたかによって全然考えが違う。

以前の話だけど「だいたいね、反対派のやつは・・・・・」
という言葉を人に言われた時に気がついた。
私は結論を言うならば「反対」ではあるけれど
その人が否定してる「反対派」の言ってる個別事項には私も同感だったりする。
つまり「反対」って云う人は皆同じ人ではないのだ。
「だいたいね、反対派のやつは・・・・・」と言ったその人は
私が(総論で)「反対」といったとたんに、
その人が知ってる「反対と言う人」の意見全部を私が持ってるように捕らえて
見当違いの批判をしてきたのだ。
しかし、考えると、私もそういうところが無いとは言えない気がしてはっとした。
「賛成」という人もそれぞれなのに「賛成派」として決め付けて話をしてる
ところが無いとは言えないだろう。たとえ言葉に出していなくても。
All or Nothing
けっこうこういう捕らえ方してるときがあるように思える。反省。

「賛成か反対か」とどちらかを選ぶような聞き方で聞かれるから
人は「賛成」とか「反対」とか一言で言うけれど、
一つ一つ見ていくと賛成と反対って入り組んでる。
仕事でも反対の人と話をするときには、決め付けたり思い込んだりせず
一つ一つ話をしていくのが大事なんだろうなあと思った。

もともと対決するためや批判をしたいだけ、相手を中傷にしたいだけ
で話をしているような人は別だが、しかし、
「なんのために話をしているか」と考え、
そこに少しでも会話をしたいとか分かり合いたい、聞いてもらいたい
という気持ちで話をするのであれば
相手を決め付けて考えないようにしないと
会話になるどころか感情論の泥仕合になって互いに気分を悪くするだけで
不本意に疲労して言葉増えるほどにすれ違うように思う。

自分の意見が優れてる絶対的に正しいと思い込んだ姿勢は
それだけで相手をかたくなにさせてしまうように思う。
でも、考えると自分だってありがち。
人の振り見て我が振りナオセ。
気をつけないと「若気」の至りか「老害」でしかない。

「賛成と反対は実は入組んでる」
ここが意見が違う人と話すときのポイントに思えた。





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