未知の驚きを切り取る・・・
う~~ん、バタバタ時間の使い方と、気持ちの持ちようが甘いんだわ(><)最近見てる韓ドラも、小刻み10分単位とかで、そして早送りで見てるから全然ハマらないし(爆)昨日平成進化論で素敵な記事がUPされてたので、ご紹介♪***********************************■日経新聞の「プロムナード」というコーナーに、 哲学者の森岡正博さんのコラムがありました。(平成22年8月31日) 2004年に兵庫県立美術館で開かれた、 「『具体』回顧展」を見に行ったときのことが 描かれています。■美術における「具体」とは、 森岡さんの言葉を借りて説明すると 「1954年に日本で始まった前衛芸術運動」で、 「とにかく新しい実験的な試みならば 何をやってもいいというかけ声のもと、多種多様な 作品が生み出された。 その作品群は、海外からも注目され、いまや 美術史にも記されるようになった」 とのこと。■会場には、 ボールがごろごろ転がるオブジェ、 全身を電球で覆った不思議な衣装、 巨大な紙の壁を作家が走り抜けて破る パフォーマンスの写真、 ときどき大きなうなり声をあげて動き回る 掃除機のようなもの、 などといったものが並んでいたそうです。■その後、森岡さんは、 中学時代の美術の先生の作品を、思いがけず見つけます。 「その瞬間、それまで忘れていた40年も前の記憶が、 堰を切ったように私の脳裏によみがえって来た」 と述べ、ご自身の記憶を回顧されます。 ------------------------------------------------------------ 絵を描くことが大好きだった私は、私立土佐中学校に入学して、 美術教師、高崎元尚に出会った。 彼の授業は過激そのものだった。 中学1年生の生徒たちに、 「何を使ってもいいから面白いものを作ってこい」 と言い残して教室を去り、自分は展覧会に出すだめの作品を 制作しはじめるのだった。 私は彼の制作物に目を見張った。 セメントのような物体を粉々に壊して床に整然と並べ、 彼はにやにやしていた。 その姿に衝撃を受け、私もきれいな絵を描くのをやめ、 ベニヤ板にカンナ屑を無数に貼り付けたり、 リンゴを釘で打ち付けたりして、彼のところに持っていった。 彼はそれを受け取りながら、 「ああ、面白いですね」 と言った。 私は、アートとは何かを、そのとき自分の内側から あふれ出てくるものとして発見したのだった。 今から振り返ってそれを言葉にするとしたら、 「アートとは世界という素材から 未知の<驚き>を切り取ってくる営みである」 ということになるだろう。****************************************世界から、たくさんの驚きを切り取っている。Kくん。受け取る器がどんどん広く大きくなってゆく7歳(^^)ポチっとよろしく~♪ルーティンワークの中に、未知の驚きを見出そう!