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昼の月

昼の月

出産のこと

簡単な出産の記録です。


2004年12月 34週
それまで体重増加以外順調だったのに、
定期健診でいきなり尿蛋白が++ 血圧も146/78
妊娠中毒症と診断されました。

振り返れば、血圧も妊娠以前は上は90台だったのが、
徐々に上がってきていました。
血圧が正常に近づいて、逆に調子がいいのかもと思っていました。
体重増加もむくみが原因だったようです。
それから週1で健診に通いました。

2005年1月 
健診では尿蛋白の数値も調べるようになりました。
健診のたびに、尿蛋白の数値が上昇。
赤ちゃんもあまり大きくなってきません。

1月19日
ついに尿蛋白が普通の50倍の値になってしまいました。
赤ちゃんも12月末ごろから体重が増えていない様子。
このまま自然分娩を待てない状態になってしまいました。
翌日入院の準備をしてくるように言われました。
家で最悪の事態も考えられるから、
何かあったらすぐ来るように言われました。
こわごわ夫と夜を過ごしました。

1月20日 38週1日
夫が休みをとってくれたので、一緒に病院へ。
尿蛋白の値は100倍に。
もちろん私には危険な数値。
赤ちゃんもこのままお腹にいても、育てないので、
出産することになりました。
今日は陣痛誘発剤を飲んで自然分娩を待ってみる。
陣痛がこなくて出産できなかったら、翌日帝王切開と言われました。

診察室から陣痛室に。
そこでお昼ごろから陣痛誘発剤を飲み始めました。
1時間ごとに1回。
6回まで飲めるそうです。
それまでに陣痛が来てくれれば産めるかもしれません。
でも翌日の帝王切開に備えて、準備をしたり、切り方を決めたりしました。

夫は一度外せない仕事があったので仕事に行きましたが、
すぐに戻って来てくれました。
夫があわてたのか『今すぐでも産まれそう』と連絡したらしく、
母もすぐに来てくれました。
でも、何時間も何事もなく過ごしていました。

途中、お隣のベットにきた方は、
2人目で早かったようで、病院についてから1時間ぐらいの、
スピード出産でした。
私は隣で『すごいな~』とのんきに思っていました。


4時頃。
4時間たっても定期的に弱い張りはあるものの、陣痛まではいかず、
先生も今日はダメだろうと諦め気味でした。

6時間後、夕飯です。
今日はもう無理そうだと判断されたのか、
病室に移って、夕飯を食べました。
でも食事中、張りが少し強くなってきているような感じで、
ごはんを休み休み食べるようでした。でも完食。

私ももう出産はできないだろうなぁと思って、
張りの間に、急な入院のことを友達にメールしたり
のんきに過ごしていました。


そして、まさかの急展開。
突然の腹痛。
急いでトイレに。。。

私が選んだ病院は浣腸なし、会陰切開なし、フリースタイル出産。
自然な出産の手助けという私の考えに合った病院です。
出産するときは自然にそうなるのねと後から思いました。


少しずつ痛くなるお腹。
でも病室のベットに寝ていられるぐらいでした。
19時前ぐらい。
張りがきたときに、突然の破水。
看護婦さんを呼んで、分娩室に移動しました。
私は出産は諦めていたので、心の準備ができてなくて、
『えっ!産まれるの?産まれるの?』という感じでした。


本格的に陣痛が始まりました。
そのうち、だんだん気持ちが悪くなってきて、
食べたものをもどしてしまいました。
体が消化と出産は同時に出来ないと判断したのだなと思いました。

そして11時前、陣痛が来たときに突然頭が出た感じがしました。
またまた急いで分娩台に移動です。
もちろん『いきまないでー!!』と言われながら。

夫と分娩台にいき、
私が楽な姿勢、横向きになりましたが、
赤ちゃんが苦しそうなので、上向きに。
そして、あっという間の11時22分。
2110g46.0cmの小さな息子がするりと産まれました。


息子は小さく、早く産まれたためか、血糖値が安定せず、
暖房がついているベビーベットから動かすことが出来ませんでした。


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