2007/09/01(土)22:40
●92年当時の検見川送信所~分離派建築博物館提供
大正時代に起こった建築デサイン運動に「分離派」というものがあります。
1920年代は、西欧からドイツの表現主義や未来派、構成主義等などのデザイン動向が伝わった時期で、明治期の古典的な様式建築から脱し、個々が社会に向けて主張し始めた時代だったそうです。
そんな分離派の建築物の写真を集めたサイトが「分離派建築博物館」です。
検見川送信所を設計した吉田鉄郎氏は分離派メンバーではありませんが、逓信省の建築物を作った人物として紹介されています。
以前から秘かに参考にさせてもらっていたのですが、思いきってメールをさせていただきました。
すると、協力を快諾いただき、92年撮影の写真を提供してくださいました。感謝感激。
今では、不法侵入者対策により、赤い鉄板を打ち込まれ、要塞のごとき送信所ですが、15年前の写真では特徴的な窓ガラスも見ることができました。
1992年撮影 「分離派建築博物館」提供
2007年撮影
1992年撮影 「分離派建築博物館」提供
2007年撮影
サイドの窓は丸みを帯び、こんなにオシャレだった。現在、草木が生い茂っており、同位置からの撮影は難しい。
1992年撮影 「分離派建築博物館」提供
裏面は現在、自転車・歩行者道路が出来て、だいぶ雰囲気が違います。
1992年撮影 「分離派建築博物館」提供
2007年撮影
また、ブログ「甲大神御神木伐採事件」、きちはなさんのブログ「犬猫&うさぎ屋 吉右衛門と華の素敵情報局」からもリンクを貼っていただき、少しずつだが、みなさまに知っていただく機会が増えています。
また、詳細が固まっていませんが、有志数人と近くイベントも企画しています。
僕としては大分のアートプラザのように生きた活用となればいいと思っています。
しかし、不要論だってあるでしょう。まずは送信所がどんな建物なのか知ってもらうことが大事。その上で、保存か取り壊しかの議論がされるべきだと思います。
現在、会場を押さえ、送信所関係者、近代化遺産・近代建築に詳しい方に参加をお願いしています。
ちょっとおもしろそうだなぁと感じた方は、ここのコメント欄、トップページの「メッセージを送る」などでご一報ください。
日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。
賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
<a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>
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