2007/09/03(月)13:36
「廃墟紀行」に見る検見川送信所
廃墟紀行
書店で平積みされていたので、もしかしたら、「検見川送信所」も載っているか、と思い、ペラペラとページをめくってみた。
102、103ページにあった。
通信施設廃墟 千葉県千葉市
検見川無線送信所
文中では「吉田哲郎氏による設計」とあるが、「吉田鉄郎」の誤り。
また、「太平洋戦争直前には、軍用無線基地として転用され、真珠湾攻撃の暗号文『ニイタカヤマノボレ』『トラトラトラ』が送受信された等の逸話も残っている」とある。
僕も一時、検見川送信所は「ニイタカヤマノボレ」を送信したところと紹介したことがあったが、これは一種の都市伝説。送信したのは同じく千葉県船橋市の海軍行田送信所(現存せず)が正しい。
2007/08/12 検見川送信所とニイタカヤマノボレ1208
「そして戦後、電電公社に所有権を移し、南極観測船『宗谷』及び『昭和基地』との交信用として活躍した」ともあるが、送信所勤務のIさんに聞くと、これも違うという。
どんな形であっても話題でもなるのはいいことだとは思うけど、1ページの文章に3箇所も誤りがあるのはちょっと残念だなぁ。
日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。
賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
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