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久恒啓一

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熱海は東京とは3度違い過ごしやすい、海と山に囲まれて自然が素晴らしい、東京との距離が近い、という条件が揃っており、昔から文人、政治家、軍人などが住んできた場所であることを改めて感じた。土曜日は、小説・彫刻・音楽・短歌の分野の記念館を訪ねた。
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杉本苑子「彩苑」

財政難にあった薩摩藩への木曾三川治水の幕命を扱った直木賞受賞の「孤愁の岸」が代表作の杉本苑子の山間に立つ旧宅を訪問。現在は、杉本は市内に住んでいるという。「彩苑」は、人々が華やかに集まるところ、という意味。1925年生まれだから現在80歳。平成9年熱海名誉市民、平成14年文化勲章を受賞。杉本を慕って女流作家なども多く訪れるなど今も、熱海の町に大きな影響を与えつづけている。

広く題材を歴史の各時代からとり、有名無名を問わず、登場人物に目配りをした作風で知られる。昔「北条政子」を読んだ記憶がかすかにある。

「落とし穴」という本と生原稿を比べて並べてあったが、原稿用紙からはみ出すような大きな文字で、マスにとらわれずに、男のような字である。
一階の入り口は年表や作品の展示が中心で、客間だった8畳二間の和室には気に入っていたという閑吟集からとった言葉が掲げてあった。

 憂きはひととき
 うれしきも
 思い醒ませば
 夢候よ

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澤田政廣記念美術館

熱海の廻船業、製材業を営む家に生まれた彫刻家。1894年生まれで、1988年に93歳で没した。熱海名誉市民第一号。文化勲章受章者。93歳では勲一等瑞宝章。
文化勲章令(1937年)で「文化の発展に関し、勲績卓絶なるものに賜う」とあり、2001年までに307名が受賞している。彫刻部門では朝倉文夫が第一号。澤田が受賞した昭和54年11月の同時受賞者は、今西欣司(77歳)、堀口大学(87歳)、中村歌右衛門(62歳)で、その写真が飾ってあった。

    「日本国天皇は○○に文化勲章を授与する
     皇居において璽をおさせる

          内閣総理大臣 竹下登」

彫刻作品では、隠者(役行者・いんじゃ)、銀河の夢、白日夢、紅衣笛人、神通、人魚、産業戦士、聖徳太子、長嶋茂雄選手の像などをじっくり鑑賞。
長嶋の書「洗心」も飾ってあった。
絵描きになりたかったのだが、彫刻家になった澤田は、彫刻、絵画、書、陶芸、版画などにも取り組んでいる。

この彫刻家は言葉がいい。

・生命ある芸術作品には形で表すことのできない詩魂と、一種の音楽的諧調が必要である。彫刻家であり、画家であり、そして詩人で、音楽を解する作家で私はありたいと思います。
・芸術も宗教も一つだった。それが分かれた。美しい心を求めて行くのが宗教で、技術を使い物を創造して行くのが芸術です。しかしその美しい物には美しい心がこもっていなくては芸術作品ではない。
・日本の水墨なり絵は速度があるんです。速度というものは年をとるほど勢いがよくなる。
・芸術は息です。吐いたり吸ったりする空気の中に美の世界があるか否かがすべてを決定します。それが芸術家の生涯なのです。
・私は詩を彫刻にしてきたんだ。内面から湧き出るもの、腹の心底から出てくるもの、それを時代に即応した新しい形式で発表する。それが私の仕事だ。
・どこまで気力と生命が続くか、大いに試そうと思っています。
・芸術は外形ではなく、呼吸している生命をもった作品をつくることが大切です。
・何でもやってみるもので、発見というものはものを見て、形を見てというのはできないことだ。それはもう出来てしまった過去のもので、発見のためにはあらゆる分野を会得しなければいけない。
・苦しい中でやるということ、これはただ気力の問題です。人間というものはどんな場合でも、自分を見限ったらもうそれでおしまい。命がけになれば、どんなことでもできる。

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中山晋平記念館

澤田記念館のある熱海梅園の中に熱海市中山から移築された作曲家・中山晋平の別荘が平成3年に記念館になっている。緑したたる梅園という日本庭園の静かなたたずまいと落ち着いた木造建築が溶け合っている。一階には愛用のピアノがある。1887年生まれで1952年に65歳で没した中山晋平は、生涯で3000曲を作曲した。このうち童謡は700曲という。明快な日本的・庶民的な歌のスタイルは、晋平節として愛された。故郷長野県中野市で代用教員をしていたが18歳で劇作家・島村抱月の書生として上京、21歳で東京音楽学校予科、22歳で本科ピアノ科に入っている。27歳の時に、抱月から依頼された「復活」の中の「カチューシャかわいや、わかれのつらさ、、」で始まる松井須磨子の歌う「カチューシャの唄」が大ヒットし、名作曲家への道を歩み始める。


船頭小唄(野口雨情)「おれはかわらの枯れススキ、同じお前も枯れススキ、、」
東京行進曲(西条八十)「昔恋しい銀座のやなぎ、、、」
ゴンドラの歌「いのち短し恋せよおとめ 紅き唇 褪せぬまま 
        熱き血潮の冷えぬ間に、、」

童謡も多い。
「雨降りお月さん雲のかげ お嫁に行くときゃ誰と行く 一人で唐傘さしていく」
「柱のキズはおととしの5月5日の背比べ、、」
「しょしょしょじょじ しょじょ寺の庭は ツンツン月夜だ
  みんなでてこいこいこい おいらのともだちゃ ポンポコポンのポン」
「海は荒波 向こうは佐渡よ、、、」
「てるてる坊主」「肩たたき」、、、、。

そして、西条八十、野口雨情、などとともに「波浮の港」など新しい民謡づくりにも手を染めた。
竹久夢二は晋平作品の楽譜装丁を多く手がけている。

澤田記念館、中山記念館には訪れる人が多い。それは熱海梅園という市民の憩いの公園の中にあるからだ。梅の季節、紅葉の季節には訪問者が多いという。この熱海梅園は内務省衛生局長の長与専斎(「衛生」という言葉の発明者:1838-1902年・大阪の適塾出身)の提唱した遊歩公園の一つ。梅を中心に木々が多く、真ん中を川が流れ、梅見の滝などもある。中山晋平歌碑もあったが、これは音符でできていたのには心地よい驚きを覚えた。

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佐々木信綱「凌寒荘」

1872生まれで、1963年に91歳で没した佐々木信綱は、国文学者、特に万葉集の研究者として優れた業績があり、歌人としても知られている。以下の二つは教科書などで読んだ記憶がある。

 「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲」
 「願わくは われ春風に 身をなして 憂いある人の 門をとははや」
 

友人の徳富蘇峰が中国の文章家王安石(1021-1086)の詩の一節をとって凌寒荘と名づけた一軒家、ここで72歳から91歳までの19年間を過ごした。蘇峰が庭の梅の木を見て、「寒をしのいで独人自ら開く」という詩からとってつけた名前である。純和風の家のそばを流れる川、そして小さな石の橋がある。


佐々木信綱は「広く、深く、おのがじしに」を標語として、各自自らの歌をよむべきであると考えた。信綱は、伝統派と新派の橋渡しをし、短歌革新運動が実りを得た。
信綱は、白秋、茂吉、牧水らよりも10歳近く年上。
熱海に移住したときに72歳であったが、この19年間に多くの仕事を完成させている。年表を見ると、仕事量の膨大さに驚きを覚える。友人の坪内逍遥が「先生は晩年にいろいろな仕事がよくできます」と言ったところ、そばから夫人が「これは熱海におるお陰で、半分は熱海が主人に書かせるのです」という話が伝えられている。

この凌寒荘は、凌寒会というボランティアの会が護っているようで、会長の年配の女性や会員が親切に説明をしてくれた。そして一杯のお茶をご馳走になって一息ついた。

 
 「道の上に残えあむ跡はありもあらずもわれつつしみてわが道あゆむ」
 「山の上にたてりて久し吾もまた一本の木の心地するかも」
 「人いゆき帰りこなくに山庭は紅梅の花咲きにけらずや」(妻・雪子を詠んだ)
 「門川の流れのおとを聞きつつ建つ一人の我のこの夕べかも」
 「ありがたし今日の一日もわが命めぐみたまへり天と地と人と」
 

信綱の孫である早稲田大学教授の佐々木幸綱は、俵万智の恩師だったと思う。

この家の庭から少し下ると「潤雪庵」という古い家があった。これは谷崎潤一郎が細雪を書いた家である。今は大学の先生が住んでいるが、新築と同じくらい金がかかったと言っているそうだ。














Last updated  2005/06/12 09:44:15 PM
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