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久恒啓一

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群馬県館林市のつつじヶ丘公園に近くの環境のいい場所に、白い記念館が建っている。道路を挟んで、田山花袋が14歳までを過ごした実家が移築されている。 花袋は1871年生まれだから、明治維新の直後に生を受けている。田山家は山形から転封されて館林に来た秋元家という6万石の家来だったが、廃藩置県によって没落する。巡査となった父親とともに東京に出るが、西南戦争で戦死。再び館林に帰る。1886年(明治19年)一家をあげて上京。

「今に、今に、
 俺だって 豪くなる、、、、
      豪くなる、、、、
 日本文壇の権威になって
      見せる、、、、」「東京の三十年」

文学の仲間となった、「遠野物語」の柳田国男(1875年生まれ)、「破戒」の島崎藤村(1872年生まれ)、「武蔵野」の国木田独歩(1871年生まれ)らと深い親交を結ぶ。1899年結婚後、博文館編集局に入社、雑誌編集にも携わる。「太陽」に「露骨なる描写」を発表したり、創刊号より主宰となった「文章世界」でも活躍する。友人の島崎藤村は、後に「田山花袋全集」に寄せて、次のような一文を寄せている。

 「あれほどの痩我慢と、不撓不屈の精神と、子供のような正直さと、
  そしてまた虚心坦懐の徳とを誰が持ち得たろう」

58歳で死の床についたとき、庭先で待機する報道陣の気配を感じ、「今死ななければ恥になる」と家族に語ったという。明治の青年らしい、上昇志向の強い、イメージを大切にする人物だったのだろう。

「蒲団」(1907年)では、主人公の女弟子へのひそかな想いを大胆に告白した。浪漫的文学からの脱皮と人間の真実をありのままに表現し、日本独自の自然主義文学の方向性を決定付けたといわれた。

「田舎教師」(1909年)では、人生への志を抱きながら田舎に埋もれ死んでいく青年の姿を描く。花袋の代表作である。

自然主義文学。科学性にもとづき、人間や社会の真実性を観察し、表現するフランスの文学思想(ゾラ、モーパッサン)が日本に入り、自己の経験を軸に人間の真実を内面から告白するという方法によって藤村、花袋らが主役となって日本独自の自然主義文学として確立されていった。

田山花袋は、生涯において、小説450篇、評論600篇、紀行文200篇という膨大な仕事を残している。

記念館で売っていた新潮文庫の「蒲団」と「田舎教師」を買う。
解説の福田恒存の辛口過ぎる批評が興味深い。

・花袋そのひとは、ほとんど独創性も才能もないひとだったのでしょう
・かれの内部には、なにかを選びとらずにいられないほどの切実な問題意識  が欠けていたからです
・田山花袋の文学の良さも、つまらなさも、すべてそこにかかっております
・花袋は芸術家の生活を演じたがったひとであります
・芸術作品を生むものを、われわれは芸術家と呼ぶのであって、芸術家とい  うものがはじめから存在していて、かれが生んだものを芸術作品と呼ぶ  のではない。
・かれの本質は善良なる市民であり、文学者としてはせいぜい傍観者的紀行  作家にすぎなかったのです














Last updated  2005/08/14 05:53:28 PM
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