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久恒啓一

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「ペリー来航より30年前の太平の時代に日本人にサイエンスの面白さを植えつけた。シーボルトを通じて日本人はヨーロッパの光を見た」と館内のビデオで故・司馬遼太郎が語っている。
鳴滝という町の細い「シーボルト通り」を登って行くと、鳴滝塾と言われた自宅跡が目に入る。旧居跡、書斎跡、倉庫跡などがある200坪ほどの土地である。その斜め上に地上3階、半地下1階の赤レンガ風の瀟洒な洋館が見える。それがシーボルト記念館だった。

1796年に医学の名門の子として現在のドイツに生れたシーボルトはヴュルツブルク大学で医学以外にも動物学、植物学、地理学、民族学など広範な知識を学び、外科・産科・内科の博士号を得る。1823年に27歳でバタビアのオランダ領東インド政庁から長崎出島のオランダ商館医師兼自然調査官として日本に派遣される。目的は日本に関する情報収集だった。オランダ人以外の西洋人は渡来を禁止されていたためシーボルトはオランダ人になりすまして入国を果たす。
出島の4000坪の土地には10人の商館員たちが住んでいた。シーボルトは医学や植物学の講義、医療活動を始め名声をあげる。シーボルトの決意は「日本博物館をつくるための資料を集め、日本植物誌を出す準備をする」ことであった。その後、シーボルトは日本研究に没頭する。シーボルトは例外的に病人の往診や薬用植物採取のため市中への立ち入りを許可され、その後鳴滝に民家を買い求め活動の拠点とする。これが後に鳴滝塾と呼ばれる。鳴滝塾には全国から門弟が集まる。美馬順三(阿波)、岡研介(周防)、高良斎(阿波)、二宮敬作(伊予)、石井宗謙(美作)、高野長英(陸奥)などの多数の門弟にと情報の交換を精力的に行っている。彼らの多くは幕府や藩の医師として活躍する。
シーボルトは日本に関するあらゆるものを凄まじい気迫で研究している。実物、標本や剥製、模型、絵などあらゆる手段を通じて入手する。この費用はバタビアの東インド政庁が負担していた。

143日間に及ぶオランダ商館長一行の江戸参府にシーボルトは同行し、幕府医師の桂川甫賢、石坂宗哲、土生玄碩、仙台藩の医師大槻玄沢らと江戸で会っている。最上徳内からは蝦夷・樺太の地図や資料を借りている。このとき、幕府の天文方で書物奉行の高橋景保に日本・蝦夷・千島・樺太の地図を提供してもらった。これが後のシーボルト事件につながっていく。

5年の任期を終えて帰国にあたって入手した資料をハウトマン号に積み込んだが、猛烈な台風が襲い座礁する。検査すると、禁制品である徳川家の家紋や武者・武具の絵、日本地図などがみつかりすべてが没収される。高橋景保ら55名が罰せられた大事件になった。シーボルトは1年の取調べを受け、国外追放となった。

妻のたきと、2歳のいねを残して日本を去ったシーボルトは日本研究の成果を次々に公開していく。「日本」「日本植物誌」「日本動物誌」の三部作を出版し、ヨーロッパにおける日本研究の第一人者になる。またシーボルトは日本を去って15年後の49歳のときにドイツ貴族令嬢と結婚する。シーボルトは日本を平和的に開国させようと様々な活動を行っている。

1859年、日本を去って約30年後に追放令を解かれたシーボルトは長男を伴って再来日する。いねは32歳で日本初の産科医となっていた。日本では幕府の顧問となってアドバイスをするなど3年滞在している。長男はそのまま日本に残っている。シーボルトは帰国後も日本のために様々な計画を練っている。70歳で没する前「わたしは平和の国へ行く」とつぶやいたという。それは日本のことだろう。亡くなったのは1866年だから明治維新の直前である。

生涯を日本研究にささげ、日本のことを心配し続けたシーボルトの使命感と飽くなき行動力に心を打たれる。
シーボルトの像は鋭い目を持ち、引き締まった口元など意志の強さを示す風貌である。






Last updated  2006/02/16 06:24:40 PM
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