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久恒啓一

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長崎郊外の外海(そとめ)の東シナ海を臨む断崖の突端に立つ瀟洒な記念館。ここから眺める海が素晴らしい。「神様が僕のためにとっておいてくれた土地」と作家・遠藤周作が言った場所である。外海は、250年という気の遠くなるような年月続いた隠れキリシタンの住んでいた町でもある。観音様にマリアを抱かせた像を拝むなど、様々な工夫があった。この地から見える五島列島はキリスト者が役人から追われて住み着いた島々だった。

遠藤周作は1923年(大正12年)生まれだから、亡くなった私の父と同年生まれだ。この世代のことは見ているからなんとなく親しみを感じる。
著作以外に覚えているのは、兄が素晴らしい秀才で東大を出て専売公社のトップにまでのぼりつめており、よく兄弟の比較論が雑誌に出ていたことだ。弟の方は小学校時代から成績はほとんど乙であるのに兄は全て甲であった。しかるに雑誌が遠藤兄弟を取り上げるのは「学校の成績などあてにならないという見本として晒す魂胆である」と兄自身が嘆いていたことがある。この兄も相当な人物であったようだ。

遠藤周作という作家は2つの顔を持っている。「沈黙」「に象徴される信仰を巡る深刻な悩みを描く小説を書き続ける作家という顔と、グータラで愉快なエピソードで笑わせる「孤狸庵山人」というキャラクターである。学生時代にだったか、系統の違う2冊の本を続けて読んで違和感を感じたことを思い出した。その答えが本に書いてあった。
「遠藤周作をもし人生に好奇心を抱く男の名とすれば、孤狸庵はさしずめ生活に好奇心をもつ男の名であり、この二つの名が矛盾せずに私の顔にペタリとはりつけられている」と「よく学び、よく遊び」という本でその秘密を語っていた。人生にかかわる部分と生活にかかわる部分を分けて書いていたのだった。

中国・大連で生まれ、灘中学、10歳で洗礼うを受けキリスト教徒になる。18歳上智大学予科入学、20歳慶應義塾予科入学、フランス文学科、25歳フランス留学、30歳帰国。
母親が「お前は、一つだけいいところがある。それは文章を書いたり話をするのが上手だから、小説家になったらいい」と子どもの頃に言われた遠藤は、その後、小説を次々に発表する。
32歳「白い人」で芥川賞(安岡章太郎、吉行淳之介、広野潤三らと第三の新人と言われる)、36歳最初のユーモア小説「おバカさん」、43歳「沈黙」でセンセーションを起し谷崎潤一郎賞、50歳「ぐーたら」シリーズがベストセラーになり孤狸庵ブーム、52歳「遠藤周作全集」、56歳「キリスト  」で読売文学賞、62歳日本ペンクラブ会長、70歳遠藤文学の集大成といわれる「深い河」で毎日芸術賞、72歳文化勲章、、、。

この作家は人生に関するエッセイがいい。これもファンが多い理由だろう。
・人間はたくさんの情熱は持てない。たった一つのことで人生を送るより仕 方がない
・今ふりかってみると、まずしいながら私だけの作風をやっとつかむことが できたのは50歳になってからである
・人間は青年時代は肉体で世界を捉え、壮年の時は心と知で世界を捉え、老 年になると魂で世界をつかまえようとする」(思想家シュタイナーの言  葉)
・私の人生のすべてのことは、そう、「ひとつだって無駄なものはな かったと今になって思うことがある」

人生最後に応諾した著書が「生きる勇気が湧いてくる」だったという遠藤周作らしいタイトルだったが、この中に共感する書きつけがあった。
・私は地方の町に行くと、必ずその町の役場に山城の跡はありませんかと問いあわせることにしている。、、、。その山城をめぐる攻防戦や、そこに拠った一族の歴史をあとで調べることにしている。その結果、それらの場所が私だけの名所旧跡になる。

葬儀では「沈黙」と「深い河」の2冊を遺志にしたがって棺の中に入れたという。「深い河」はガンジス河、「海と毒薬」は九大医学部生体解剖事件、「侍」は支倉常長、「メナム河の日本人」は山田長政、「王の挽歌」は大友宗麟を描いた作品である。また、織田信長への関心も強い。遠藤は人物を中心に小説を描いていて、その題材はキリスト教に関係するものが多い。「メナム河の日本人」では、日本で最初にエルサレムを訪れローまで勉強した知識人である大分国東のペテロ岐部が登場する。岐部はアユタヤで山田長政と出会っている。

「小説で書けるものは戯曲には書かない」という遠藤は戯曲を小説よりも高いものと考えていた。小説は、読者は作者の存在を感じることになり、一元的に理解を統一しようとする。戯曲をもとにした演劇は、劇作家、演出家、俳優、観客が同時に参加する表現形態である、としている。劇団「雲」の「黄金の国」は、演出は芥川比呂志、舞台装置は清家清、俳優は寺田農、真屋順子、作は遠藤周作だった。

遠藤は小説一筋というタイプの知識人ではなかった。好奇心と茶目っ気のままに色々な企画を実現している。
樹座(きざ)という素人演劇集団の旗揚げ、日本棋院・関西棋院に対抗するとうそぶいた宇宙棋院の創立(永世名人・名誉会長)、ダンスのサロン・ド・ロア・ポーブル、合唱のコール・パパス、樹座絵画クラブ、詩と音楽の夕べ、ファッションショー、遠藤ボランティアグループの結成、、、とまことに人生を謳歌している姿が見える。

文学館を歩いているとところどころに小窓があって、青い海が額縁の中にあるように見えて、気持ちが新たになる。

付属の海の見えるレストランで「ド・ロそうめん」を食べる。フランス貴族出身で1868年以来40年間にわたって日本に滞在し、そのほとんどを外海(そとめ)の出津村のために尽くしたド・ロ神父が指導した新しいタイプのそうめんということである。おいしかったが、少しバテレンの味がした。

最後に外に出て海を眺める。120度の青い海原が眼下に広がっている。ここを愛した、1996年に73歳で逝った遠藤周作の余韻を楽しみながら、長崎に向かって車を走らせた。











Last updated  2006/02/17 08:10:57 AM
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