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久恒啓一

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上野の不忍池に面した台東区池之端の横山大観記念館を訪ねる。7月のはじめに訪問したことがあるが休みだった。この記念館は、月・火・水が休みで、夏季休暇、年末年始は24日間、そして梅雨期も閉めている。この梅雨期にあたったというわけだ。京風数奇屋造りの自宅で横山大観の絵などの実物を展示するということなので、梅雨の時期には湿気を避けるなどの工夫が必要とのことだ。

横山大観は1868年の明治元年に生まれ、1958年に没しているから90歳の長寿であった。元々は水戸藩士の長男として生まれたが、湯島小学校、府立一中を経て東京英学校時代に洋画家に出会い、19歳で画家になることを決心する。21歳で東京美術学校に入学し、生涯の恩師・岡倉天心校長に出会う。途中、天心とともに五浦で修行をするが、間断なく「無我」「屈原」「迷子」「正々流転」「紅葉」「不二」(大観ほど富士を描いた画家はいない)「などの日本画の名作を生涯描き続けた。

41歳で新居を建て、途中8年ほど伊豆山にいた期間を除き、この地に住んだ。46歳のときに天心の遺志を継いで「伝統と個性を経緯とする応用・発達にあり。新しき古派運動」という創立の精神を持つ日本美術院を再興する。69歳では第1回の文化勲章を受章、亡くなったときには正三位勲一等旭日大綬章を受けている。天心とは4歳の違いであるが、大観は師の死後45年の間、日本画を描き続ける。

廊下に飾ってある大観の写真は、和服姿で髭(ひげ)を生やしている。穏やかだが厳しさを秘めたいい顔をしている。

最初の間は、「鉦鼓洞」(しょうこどう)という客間である。五浦時代に住んだ断崖の下で太平洋の波がチャポンチャポンと洗う洞窟の水音を水戸烈公が名づけた名前を借用したものである。大観は自ら鉦鼓洞主と号し印鑑にこの号を用いた。この客間から庭を眺める。敷地面積1380ヘーベ、建物延床面積は310ヘーベのこの屋敷は、京風数奇屋造りで、水と木と花と石を配した見事な日本庭園を持つ。池を中心に、オオシマザクラ、川ウツギ、ヤマブキ、ウメ(白梅)、モミジ、ツバキ、ガクアジサイ、サザンカキョウチクトウなどの花が咲く。この季節は、庭の緑が素晴らしい。
無月燈籠と命名された燈籠(とうろう)が立っている。天心の詩「仲秋無月」からとったものだ。

 夢の世の中、世の中、
 泣いて笑って笑って泣いて、
 残る涙が命の露よ、
 何を頼りに松虫の
 沈沈地露淋 沈沈地露淋
 沈沈淋淋 沈ちろりん
 月なき秋のやるせなや

この記念館では3ヶ月ごとに企画展を行っており、今は「人物を描く」というテーマだった。大観の描いた「屈原」「「迷子」「五柳先生」などが飾ってあった。

廊下のふすまとその突き当りには、日本の自然を描いた作品が並べてあった。「春あい」「霖雨」「雪よ」「嶺風」などの名作、そして昭和4年に描いた「夜桜」、6年の「紅葉」などの屏風絵も素晴らしかった。金の上に墨を塗る手法である。

安井曽太郎(1888-1955年)の「大観先生像」という絵が、晩年の顔を描いている。何でも「大観先生写生の会」(細川護立侯爵主催)が開かれ、安井、梅原龍三郎、小林古径などが思い思いに絵筆を振るった。本人はいやがったというが、大観の顔はまことに立派な顔だったらしい。一種の異相であった。大観は作品とともに風貌も有名だった。
「先生のお顔くらい立派な顔貌はめったにないと思っている。厳格で、些かの俗味なく、端正にしてして重厚雄大な気宇を持たれるそのお顔はまさに美丈夫というべきである。、、まさに堂々たる風格と申すべきである」(堅山南風)
「先生は、元来異相の巨人である。殊に毛髪、眼、鼻に一種の風格が窺われる」(松林桂月)

2階の入り口には、大観と下村観山の和服姿の写真がある。「虎渓三笑」という大きな習作があった。普通は小下絵、拡大、本下絵という手順で絵を描くが、大観は、小下絵からいきなり本番となる。途中で構成が変化し、描き直しも多く、未完成の作品も多い。これを習作と呼んでいる。晩年の大観が炉辺で笑っている珍しい写真があった。屈託のない愉快そうな笑顔だった。

このアトリエには「大観先生像と静子夫人像」もあったが、圧巻は「四時山水」という絵である。日本美術院創立50周年の80歳のときの作品で、長巻26.8mの巻きもの形式の絵である。巻頭には「一切の芸術派無窮をおふの姿に他ならず 芸術は感情を主とす 世界最高の情趣を顕現するにあり」という天心の詩を書いている。この作品は、春の日の出から冬の日没に終わる構成で、風景が四季の変化とともに一日の流れの中に表現されている。
筑波山の春の日の出、富士山、比良山梅林、琵琶湖・竹生島、保津川、清水寺、京都市街、嵯峨野、若草山、高雄(京都)、黄璧山万福寺、宇治平等院、雨晴海岸(富山県)、立山連峰の冬の日没。全国の名景色を描きながら一日で季節を表現する構想が素晴らしい。

日本美術院の再興院同人のリスト1階の廊下に張りだされていた。
横山大観、小林古径、前田青邨、中村岳陵、川端龍子、栗山南風、奥村土牛、小倉遊亀、守尾多多志、片岡球子、岩橋英遠、福王寺法林、平山郁夫という名前をリストアップしてみた。驚くべきことにこれは文化勲章受章者である。日本画の世界に実に13人の巨匠を生んだことになる。
平成10年に文化勲章を受章した平山郁夫は、東京芸大の学長、日本美術院の理事長を襲っている。そしてアジアの遺跡の修復・保護運動に情熱を傾けているが、天心の志を継ごうとしているように見える。

大観の藝術に関する言葉を拾ってみよう。

・藝術には眼で描く芸術と、心で描く芸術と、二つある。眼で描く芸術は技術が主になりたがり、 心で描く芸術は技術を従とする傾きがあります。
・写生の真意は、、その物象の性格と環境と雰囲気とを研究探明してその裏にひそむ性霊を表現す るにある。
・形から入って形を棄てよ
・芸術は創造である。如何なる場合に於ても模倣は之を排斥せねばならぬ。
・偉大な人が出た時に初めて偉大なる芸術が出来る。
・気韻生動
・富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くということだ。
・人間ができてはじめて絵ができる。それには人物の養成ということが第一で、まず人間をつくら ねばなりません。、、。世界的の人間らしき人間ができて、こんどは世界的の絵ができるという わけです。、、、ただ一つ我は日本人であるという誇りをどこまでも堅持してもらいたい。

 








Last updated  2006/07/25 04:55:23 AM
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