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久恒啓一

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子規庵は総坪数55坪、建坪24坪の一軒家である。南向きの庭があり、子規の天地であったこの庭には子規の愛した様々な木や花が咲いている。座敷として使っていた8畳間から病間としていた奥の6畳間が続き、その6畳間のガラス戸の先は、糸瓜(へちま)棚になっている。このガラス戸は、陽がさし、外が見えるという当時としては珍しいもので、高浜虚子が子規のためフランスから輸入したものである。子規は肺結核だったのだが、この菌が脊髄に入りカリエスという難病になる。
子規の座机が6畳間にある。子規の左脚は曲がったままで伸びなかったので、立て膝を入れる部分がくり抜かれていた。代表作の一つである「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」を見ることができる。この庵に子規は、母八重と妹律と住んだ。八重は83歳まで、律は73歳までこの家で住んだ。この3人の墓は田端にあって、子規の左右に母と妹が並んでいる。

根岸は、上野の山の根っこにあり川に近かったことからついた名前である。根岸は当時の高級別荘地でおめかけさんが多く住んでおり、子規は「妻よりもめかけが多し 夕涼み」という句も残している。上野の山は水はけがよく、鶯(うぐいす)が鳴声を競い合ったところでもあり、鶯谷とも呼ばれていた。根岸に近い根津には遊郭があってそのあとに寄席ができて、子規はよく通ったらしい。親友であった漱石と子規は寄席で出会ってそれがきっかけで仲良くなった。
庭に出て草花を愛でてその先に、子規文庫という土蔵があった。昭和2年に正倉院方式でつくったもので、戦災を免れている。

考えてみれば子規は寝たきりであったにもかかわらず、食べたいものを食べる生活をしている。これはおじさんの加藤琢という人物のお陰である。加藤は外交官や貴族院議員を歴任している。この加藤が「日本」の社主であった「くが褐南」と友人だったこともあってこの新聞社に採用される。給料は15円から30円、そして子規があこがれていた40円までになっている。40円は学士の月給だったそうだ。この加藤の息子の加藤忠三郎は後に妹律の養子に入る。この経緯を司馬遼太郎は、「人々の足あと」(?)という小説に書いている。加藤はまた原敬とも同級生であった。

子規の年表をたどってみると、17歳で東大予備門に入る。ここでは、夏目漱石、南方熊楠、山田美妙らと同級となる。21歳で鎌倉で喀血、このころベースボールに熱中する。そういえば上野の森には子規記念球場があったことを思い出した。22歳で漱石との交遊が始まる。23歳で文科大学哲学学科入学。25歳日本新聞社入社、27歳「小日本」編集責任者、28歳日清戦争従軍記者。このとき、従軍中の森鴎外を訪問、松山の漱石の下宿で50日を過ごす。29歳子規庵で句会、カリエスの手術。33歳「日本」に「叙事文」を連載し、写生文を提唱。34歳「墨汁一滴」の連載を開始、35歳「病状六尺」を連載、そして死去。短く不幸な生涯であるが、同時代の人々への感化、その間になした仕事は大きな影響を後世に与え続けているのが素晴らしい。子規は必死に生きようとしたのだった。

帰宅後、子規庵で購入してきた「墨汁一滴」を読んでみる。
食べ物の薀蓄、歌に関する知識、人物胆、俳句、万葉集賛歌、闘病の苦しさ、少年時代の思い出、漱石のこと、試験の話など、優れた批評精神と好奇心のおもむくまま豊かな精神生活を感じさせる文章が並んでる。テーマ、スタイルなどが多彩にひろがっていて、子規の世界を堪能させてくれる。随筆に現われる子規は実に魅力的である。
この書のもととなったのは新聞「日本」に164回にわたって連載されたもので、闘病生活の中、途中4日休んだだけである。
「こは長きも二十行を限りとし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし」との言葉もあった。
これは私たちがやっているブログそのものだと気がついた。
現代のブロガーは、子規の随筆に学ぶべきである。












Last updated  2006/11/05 04:58:26 PM
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