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久恒啓一

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1市6町が合併してできた大崎市での行政改革講演会で2回の講演を行った。
午前は鹿島台、午後は岩出山。両方とも300名の市役所職員が出席。
この企画は全職員(1300名)が2回出席することになっていて、1回目は講演、2回目は実習
というプログラムである。鹿島台はその1回目、岩出山は2回目である。

岩出山の方は「私の仕事」の図解という宿題を出していたので、それを4人職員同士で発表し、質疑をするという企画である。ほぼ全員が図を描いてきていた。そしてそのほとんどはパワーポイントを用いた図だった。1時間の職員同士のやり取りは活発であり、私も広い会場を何度も回りながら議論に参加し、アドバイスを行った。終了後は、質問をもらって私が答えるという時間をとった。最後に私の図解Webをみせて和やかな雰囲気の中で終了した。

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鹿島台では1時間前に会場の鎌田記念ホール「ボルパル」に着いて、行革課と来週の行革推進委員会の打ち合わせをした後、草鞋(わらじ)村長・鎌田三之助展示室を案内してもらう。
鎌田村長は1863年生まれで1950年に88歳の生涯を閉じている。鎌田三之助は15歳で上京し明示法律学校に入学、西園寺公望校長の舌で西欧文化の影響を受け、福沢諭吉の講義で「独立自尊」「自立自営」の言葉に感銘を受けている。5年後に帰国し父の代からの事業である品井沼の干拓に携わる。8年間の県会議員の後、39歳で衆議院議員に当選する。海外発展の可能性を唱えて43歳でメキシコに渡る。干拓事業が難航したため2年後に帰国し、46歳で鹿島台村長になる。そして38年間在任する。一切の報酬や旅費を断って、粗末な衣服を身につけ、腰に握り飯を提げ、わらじ履きで「勤倹・誠実・共同一致」を村是として村政に奔走した姿を、「今尊徳」、「わらじ村長」と親しみを込めて呼んだ。館内には、さまざまの資料展示やシアターもあったが時間がなくて次回の講演時にみることにしてざっと見て回った。つぎはぎだらけの衣服とわらじ、そしてその姿の写真が展示されている。

講演終了後、鹿島台小学校に立ち寄って、干拓時の水門でつくった歴史的な左右の校門をみる。干拓で出来上がったこのまちは水害の町として数々の災害に襲われてきたが、水を太平洋に掃くためのトンネルが完成し、水害から免れることができた。そのトンネルの水門に使っていた木を校門に転用したのである。また銅像も見物した。

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午後の岩出山での講演終了後は、阿部東庵記念館を訪問する。この記念館は珍しく子孫による個人経営である。館長は阿部雄一郎さんで、天保3年生まれで明治44年没した東庵は曽祖父に当たる。明治維新は38歳の時だった。岩出山伊達藩の最後の藩医である東庵は、江戸での医学の修行を命ぜられるが長崎に行き蘭学を修める。帰途京都に寄り勤皇派の太田垣れん月や板倉弁之宗道に歌道や煎茶道を学んでいる。

東庵は風流を解する知識人であったようで、この記念館には集めたものが数多く展示されている。軸物、屏風、短歌・連歌、医学関係、陶器、漆器、手紙、風景画、日時計など。明治38年の玉造郡医会規程という珍しいものがあった。医師会の料金表である。一日2円以上というようなものだったが、実際には貧乏人からは盆暮れに豆腐半ちょうが届けられたという。古い医者の家には必ずあるという「神農一対」は、薬草と八卦で病気を治すことが示されている。岩出山で小判の偽造が行われていたときに幕府から疑われ家老が切腹して落着したときの幕府目付けの戸川きん仙の「山如仁者静」という見事な書もあった。風景画では隅田川の花見があり、当時の様子が目に浮かぶ絵だった。

この記念館の宅地は代々伊達家の家老屋敷である。庭は藩校である有備館の見事な庭園をつくった茶道家清水道竿が設計したものと言われている。

この人物は、資料がなくて実相はなかなかわからなかったが、江戸から明治にかけてこの地で生きた知識人の関心のありかや当時の世相が見える。







Last updated  2006/12/01 07:21:19 AM
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