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久恒啓一

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名古屋市守山区の加藤唐九郎記念館。
山の中を車でのぼっていくと狭い道の左側に陶芸記念館が現れた。道を隔てて右側は「加藤」という表札がかかっているが、家は風雨をしのげればよいという主義を持っていて「陶芸家の中で、日本一のボロ屋に住んどるのが、加藤唐九郎じゃ」と妙な自慢をしていたと息子の重高が言う自宅はすでに取り壊されていた。唐九郎は自宅の隣に蒐集品を納める建物を作ったのだが今はそこが記念館になっている。

加藤唐九郎(1897--1985年)は大正から昭和にかけて活躍した陶芸家である。瀬戸周辺の古窯を調査、発掘し、織部、黄瀬戸、志野の再現につとめ、独自の作品を制作する。陶器世界のルネッサンスといわれる「桃山」を超えたといわれる陶芸の名人である。

記念館は平屋で案外小さい長方形の建物である。老女が一人守っていて、入場料300円を払う。写真撮影はできなかった。部屋の中央には陶器の破片が入ったガラスケースがある。土窯の発掘で蒐集したものである。壁に沿ってつくられたやや低い棚の中に唐九郎の作品が並んでいる。
陶磁器と一般に呼んでいるが、土を焼いて固めたものを陶器といい、石を焼いて固めたものを磁器という。陶器はたたくと木琴のような音がし、磁器は金属製の音がするので見分けることができる。伊万里焼や清水焼きなどは磁器で、瀬戸本焼き、唐津焼などが陶器である。瀬戸本焼きの中に志野・織部・黄瀬戸・絵瀬戸などがある。日本では東の方では瀬戸もの、西の方では唐津ものと陶器が呼ばれるようになった。

加藤唐九郎の作品の中で有名なものがいくつも陳列してあった。唐九郎は「昭和の志野をつくる」と言っていたが、志野の緋色を再現したことが有名である。そのひとつ「紫匂(むらさきにおい)と銘打たれた茶碗がある。柔らかい赤というか、桃色というか、紫というか、そういう色で、心に残る色だ。
「表は紫、裏は薄紫の襲(かさね)の色目の如し 故にむらさきにほひと名づく 昭和巳年未の年の秋   正秋」と銘の説明が添えてある。正秋とは作家の立原正秋である。1979年の作品である。

もうひとつが「氷柱」(つらら)。こちらは益田鈍翁がつけた銘である。
「藍はあいより出でて尚青く 氷柱ハ水より出でて尚冷し」とその銘の由来を鈍翁が書いた紙が添えてある。茶碗が使われた茶道は禅宗の影響を受けており、つかの間に消えてしまうものを喜ぶ。禅の修業が一番厳しい冬の季節にできる氷柱には形があってばきがごときものであり、そういう意味が込められいる。
その他、「竜安寺」や「緑野」は谷川徹三が、銘をつけた名品である。
室の中の角には加藤唐九郎の顔の像が展示されている。伊藤忠義という人の作品だが、晩年の唐九郎はまぶたを閉じたような柔和な顔をしている。

「唐九郎のやきもの教室」という本を手にとって見る。私の好きな新潮社の「とんぼの本」のシリーズである。やきものについて唐九郎質が質問に答えていくという趣向だが、その答えが実に明快で、よくわかる。

また2000年9月に日本経済新聞で4回にわたり掲載された「美の巨人たち」という加藤唐九郎のシリーズも壁に貼ってある。日経の日曜紙面の2ページ全部を使う特集である。3回目の9月24日の記事の中には「窯大将」という文字があった。
   
87歳で逝ったときに出版された「追悼 加藤九郎」(翠松園陶芸記念館)では、円城寺次郎、加藤登紀子、加山又造、川島武宜。小林輿三次、千宗室、谷川徹三、勅使河原宏、奈良本辰也、細川護貞、森繁久弥など同時代の各界の著名人が思い出を語っている。

その追悼集の中に「交わる」というテーマで様々の人々との交流の写真が載っている。白洲正子、郭沫若、石川達三、杉本春子、谷川徹三、長山田無文師、イサム・ノグチ、川口松太郎、棟方志功、奈良本辰也、勅使河原宏、林屋晴三、黒川紀章、小林輿三次、森繁久弥、瀬戸内寂聴、加藤登紀子、大空真弓、大屋政子、という面々との写真だが、相手が心の底から愉快そうに笑っている写真がほとんどなのである。唐九郎の笑顔も実にいい。人を魅了する人柄だったのだろう。
「あの、立派な手で、私のオッパイを、わしづかみにして、ひねった時の先生は、少年のようでした。私は、おもわず、「土では、ありません」と叫んでいました。」(大空真弓)
こういう逸話があるように、博覧強記、不羈奔放、妥協なき言辞、天衣無縫、豪傑、八方破れ、陶聖、哲人、天才、野人、ミケランジェロ、、、と並ぶ言葉をみると人物像が浮かんでくるような気がする。
新聞で陶芸に関する大事な記事を見つけると、赤鉛筆でアンダーラインを引き、項目別にスクラップにしていた。この根気と努力が、昭和47年の「原色陶器大辞典」(唐九郎が編纂)に結実している。

加藤唐九郎のエッセイを読むと、この人は知識人としても第一級の人物だったことがわかる。ピカソは陶器でものを考えたヨーロッパ最初の人間であるとして、ピカソについても語っている。絵画におけるキュービズム運動は「対象を自由に分析し、解体し、それを画面に再構成することによって新しい美学を創りだしたちょうど同じことを、彼ピカソは「陶器」の世界にてなしとげたのである。」キュービズム運動の本質を見事に知らせてくれる言葉である。

・「古いものを継承し破壊する戦いがなければならぬ。芸術は一種の革命である」
・「大家といわれる人たちは、年取るほど作品が若くなってくる。ゲーテ然り、トルストイ然り。」
・「悩まない人間に進歩はない。迷ったり悩んだりする度に人間は大きくなっていく」
・「素晴らしい音楽のように、陶芸も人間の感覚に訴え魂を奪うような魔力を持っていなければ芸術ではない」


唐九郎は日記をつけていた。「この日記は、このまま昭和陶磁史なんじゃ。発表したらえらいことになる!」と言っていた。追悼集刊行委員会発起人の山内寿夫は「いつ、どう発表するか、我々は痛切な宿題を負った」と記している。
稲垣喜代志の回想の中で、昭和史の事件についての期日についての議論の中で、日記の索引が出てくる。その索引から分厚い日記の綴じ込みが出てきたという記述がある。やはり単なる日記ではないようだ。加藤唐九郎が亡くなったのは1985年だから20年ほど前になる。
まだこの日記は出ていないようだが、私の生きている間に読むことができるだろうか。







Last updated  2007/02/12 11:24:20 AM
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