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2004年9月28日にブログを開設以来、本日で1000日の連続記入となった。
日本には「百説」という考え方があって、登山、陶芸など何ごとも百を超えると卒業というか入門というか、ある段階を超える。知的生産の分野でも新聞の切り抜き記事がある分野で百たまれば本が書けるとも言われている。 1000という数字はどうだろうか。 本日、ブログに何を書こうかなあと考えながら杜の公園ゴルフクラブで午後2時からのイブニングプレーに臨んだ。最後の18番ホールで午後7時前後になって、四方の山々が霞たなびく上に雲が夕陽を受けて薄いピンク色に染まる美しい姿を眺めている時に、今年訪れた比叡山の荒行である「千日回峰行」のことを思い出した。 仏教には、修行という言葉がある。繰り返して身につけていくという考え方で、自分の行いを正し、修めるという意味である。 千日回峰行は密教修行の荒行中の荒行であり、毎日比叡山の峰峰を歩き、二百数十あるお堂や、山川草木などあらゆるものを礼拝してまわり、7年間をかけて4万キロを走破する。4万キロとは地球一周とほぼ同じ距離である。 この間、朝2時起床、3時に出発し8時まで駆け足でまわるのだが、1-3年目は一日30キロを100日間、4-5年目は200日間、これで700日。その後に9日間の断食・断水・不眠・不臥の「堂入り」に入る。それに耐えたら6年目は一日60キロ、7年目は一日84キロ。この間、睡眠時間は2時間。 700日を達成すると阿閣梨(あじゃり)と呼ばれ、1000日になると大阿閣梨となる。 仏教の行は、お寺だけで行うものではなく、家庭でも社会でも行うべきものとされる。行の継続が心を磨く。自分に与えられた仕事を明日はないという気持ちを持って精一杯やる、そのことが自分の心を磨くということになる。だから職場は修行の場だということになる。毎日を懸命に勤めることで心が磨かれていく。その日その日に全力投球せよという教えである。 毎日古今の名著を読み、それをかなりの量の文章で書き表した松岡正剛さんの「千夜千冊」もこういった荒行の一種だろう。 ブログを書き続けることも「行」と考えるといいのではないだろうか。 一木一草に仏性を見出すのと同じように、毎日書き続けることで一日一日に仏性を見い出しながら過ごすことになる。 私が座右の銘にしている「今日も生涯の一日なり」という言葉も、この修行という考え方で貫かれているのだろうと思い当たる。 比叡山で千日回峰行を知ったこと、松岡正剛さんと出会ったこと、金沢での五木寛之文庫との遭遇など、一連の流れの中に自分がいることを今感じている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/06/25 05:51:10 AM
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