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久恒啓一

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28日の朝刊を読む前の早朝、先の「信州の旅」で訪れた日本最高峰の風景画家・東山魁夷館で購入した「唐招堤寺への道」(新潮選書)を読み終えた。心を描く文章家としても一級であると感じた。
東山魁夷の描く絵が世の人々に感銘を与えるのは、豊かな人格と深い教養に裏打ちされた作品に接するからだと改めて思った。

第一章「鑑真和上」によると、唐の高僧鑑真が日本への渡航を決心したのが55歳で、その後、5度の挫折の末、盲目となった姿で到着したのは67歳であった。そして77歳で他界するまで日本文化に大きな影響を与え続けた。功成り名を遂げた鑑真にとって日本への渡航は、それまでの自分を夷て生まれ変わって第二の生を生きようとしたことを意味する。自身よりも遥かに大きなものに身を任せたと東山は考える。生き方を考える上でこの鑑真の行為は深い含蓄を持っている。芭蕉の名句「若葉して御めの雫ぬぐはばや」にも感銘を覚える。

第二章「唐招堤寺」では、読者は東山魁夷の絶妙な筆致で綴られる文章の力で、広い境内を静かに一緒に歩いているような感覚にひたされる。建物や小道、周りの風景など実に細やかな描法で静かに語る文章を堪能すると、この画家の描く風景に納得する。
画家は建築を音楽にたとえて説明する。南大門の基壇に立って雄大な金堂を眺める心象を、壮大なシンフォニーの第一楽章の冒頭の決然とした第一主題を聴く思いがすると表現する。そして松林を歩き静かな戒壇院の静かな散策は第二楽章アンダンテ、金堂の右側は生彩のあるスケルツオというように読者を導いていく。画家は伽藍の配置や曼荼羅図に音楽的な構成を強く感じている。画家によれば、日本的な美の特質は、外来の文化を大胆に移し入れ、それを日本の民族的な美意識に同化させていく点にある。唐風のエキゾティックな大伽藍は千年のときを経て、落ち着いた風雅な建物に変えていった。

第三章「奈良にて」、第四章「大和路」では、日本の奈良と京都の名刹を遊ぶ。
そして第四章から、唐招堤寺御影堂障壁画の揮毫の物語が始まる。
昭和45年、日経新聞社の円城寺社長から唐招堤寺の森本長老が障壁画に絵を描くことを望まれていることを知る。自分の歩みの上からは自然の成り行きの帰着点と感じ、長い時間の後に承諾の返事をする。
現地をみて最初に浮かんだのは、上段の間に山、寝殿の間に海というテーマだった。
この後、画家は昭和48年から一切の仕事をやめて、日本の海と山の写生に没頭する。太平洋側、日本海の岬、四国、信州、九州と旅を続ける。いつもは相手の風景から描いてくれとささやきかけてくる場合に描くのだが、高野聖の舞台となった天生峠で「この風景を描け」と何者かに命じられているのを感じている。いくつもの不思議な体験をして、障壁画の題材を豊富に得ている。
年表によれば日本の旅を終えた画家は鑑真の故郷の中国を旅して鑑真の心象を表す風景を写生する旅に出ている。

この画家が畢竟の大作を描くきっかけや、そのための気の遠くなるような旅と作業にも興味を覚えるが、絵を描くにあたっての構想に関心を惹かれる。鑑真和上にゆかりの寺の障壁を描くために、鑑真の心象を思いながら日本と中国を巡り、ようやく取り掛かるという行為に驚く。そして山と海を二つの大きな軸として全体図を描こうとする。桜の間、松の間、梅の間につぃては名称を生かした絵を描こうとする。全体の色彩のトーン、それぞれの間の色合いなど全体を統一的に観る目がいる。絵を描くということは豊かな構想力が必要ということがわかる。このことは横山大観を訪ねたときにも強く感じたことである。

このような長く残る大きな仕事は、小下図、中下図、大下図、本製作と進むのだが、画家は大規模な場合は基礎的な仕事に精力と時間をそそぎ、綿密に一歩一歩と積み重ねる以外にないと断言している。三分の二を準備のためにかけてもよいとのことだ。

第七章「道遥か」の冒頭に印象に残る言葉が記されている。

 時が過ぎ去って行くのでは無く、私達が過ぎ去っていくのである。

画家の追想によれば、本人の意向とは違い、評価され無い時代も長く、途中で兵隊にとられたりして画家として世に出るのはずいぶんと遅かったとのことだ。長い準備期間を経て、本製作に入ったようなものだと述懐しているが、人生という大きな舞台で大ぶりの絵を描くには、準備期間が大切ということを暗示している。

この本を読んでいる間、この日本を代表する風景画家の内面の深さと豊かさを感じながら、静かで充実した時間を過ごした。








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Last updated  2007/08/28 12:00:58 PM
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