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June 22, 2020
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総理を操る男、今井尚哉(タカヤ)首相補佐官(左)
                    昭恵夫人

関連記事:「操られやすい13歳の天才ブッシュと安倍の正体」July 27, 2015 を参照。

首相補佐官として、(IQ低いとしか考えられない)アベ首相の懐に入り込み、硬軟織り交ぜ巧に操り続けて、己の野心と狭い了見の外交政策(東芝等の原発輸出投資・・・トルコ英国ベトナム等、エネルギ資源政策、対露の北方領土交渉(日米地位協定の内容はプーチン熟知の事であり、日米安保が存続する限り北方領土返還は100%あり得ないことは自明のこと。このことを知らずに今井が率先したとするなら全くの「世間知らず」ということだが・・・皆大失敗)を、しかも結果責任の問われない立場から、遂行してきた男の正体はそろそろ暴いていく時がきたのではなかろうか・・・・遅い、もう終わってるかもしれないが・・・


「今井尚哉(タカヤ)の伯父 善衛は岸信介の商工省・通産省を通じての親密なる部下であった」と推測するのは困難なことではないことが、以下の系譜から見えてくる。



今井尚哉の父(四男)善男(栃木県で精神科医)の長兄善衛は、1937年に商工省入省。
満州国総務部次長として権勢を振るい、大陸の蜜を大量に懐に入れて帰国した岸信介は、1939年に商工省事務次官に登用された。

1941年10月、開戦迫り組閣を任された東条内閣の商工大臣に就任。
有能なる今井善衛は着実に出世の階段を登り続け、1963年に通商産業省事務次官に就任。
今井善衛・善男の弟が、(五男)今井敬元経団連会長である。即ち尚哉の叔父ということになる。

​​​​今井善衛の妻繁子は、大正の相場師から山種証券を創設する、山崎種二の長女である。

岸の大陸から手に入れた蜜は、山崎証券→山種証券によって運用された。

山崎種二の次女貴美江は、JR東初代社長となった住田正二と結婚していた。

山崎種二の事業を継いだ、三男山崎誠三の妻「初恵」は、「森永」太平(3代目社長)の長女である。


「森永」4代目社長松崎昭雄の妻「恵美子」は、「森永」太平(3代目社長)の次女である。

松崎昭雄と妻「恵美子」の長女が、現在の「安部昭恵」である。

安部昭恵の伯母初恵の夫「山崎誠三」と、今井尚哉の伯父今井善衛の妻「(旧山崎)繁子」は
姉弟・・・
 首相夫人の秘書として、経産省から派遣された谷査恵子は、同じ経産省から首相秘書官になっていた
今井尚哉の部下であった。
 今井尚哉と佐川  は82年入省(旧 通産省・大蔵省)の同期生で親しい仲だった。

 ​今井尚哉が、森友学園騒動の裏で暗躍工作したのは、単に首相夫人のためだっただけでなく、互いの伯父・伯母が夫婦であるという強い絆(この場合『尚哉』と『昭恵』は『義理の従兄妹』?)で繋がっていたことが判る。​(当ブログ、
Mar.30.2018 「今井尚哉首相補佐官、官邸に巣くう大臣より偉い・・・」を参照)

山崎種二の事業を継いだ、三男山崎誠三の息子元裕の妻は、トヨタ豊田達郎の長女である。

時間のある方は、上の記述を、家系図風に作っていただければ、と思います。


尚、岸と大陸阿片の関係を示唆する事実の一つが、上海の阿片王と言われた
「里見甫ハジメ」(1896-1965;上海の「東亜同文書院」を1916年卒業。)が東京裁判において、GHQと何らかの取引をして、無罪放免となり、 堅気に戻ってかっての意中の女性を探し当て再婚、64才で息子を設けて(1959)静かに世を去った男(1965)・・・
 この幼いまま残された遺児「里見泰啓君 奨学金基金寄付御願」発起人リストに、岸信介・児玉誉士夫・笹川良一・佐藤栄作・甘粕正彦実弟の四郎等が名を連ねていたという事実。
(佐野真一『阿片王』)

【山崎種二と今井善蔵の関係】
 二人は大正期の大相場師であった、という共通点があった。
今井善衛の実父は(即ち今井尚哉の祖父)今井善蔵という人で、大正から昭和の初めにかけて新潟米穀証券取引所の米穀取引員で米の先物取引で活躍した大相場師だった。

​​​ 今井善蔵は相場観が人並み優れて、才覚の人だった。その名も新潟はもちろん東京・深川や大阪・堂島の取引所でも知らぬ者がいないほど有名だった。
 
そんな善蔵と山崎種二が互いに認め合う関係であったことは容易に推察できる。子供同士を結婚させるという関係だった。

 経産省の今井尚哉は2006年の第1次安部内閣で、事務担当の首相秘書官に任命された。アベは上記の今井尚哉の父の兄 善衛と自分の祖父岸の関係、更には善衛の妻(山崎繁子)を通して、妻(森永系)昭恵が今井家と繋がっていることも知ったはずである。安部が今井秘書官に心を開くようになるのは当然ではあろう。
 おそらくこのような出会いは単なる偶然ではなっかたと考えるのが自然である。今井の側が承知で近づいたハズである。

​​​

関東軍、満州国の資金源は「阿片」だった、広大な阿片畑を営んでいたことは、その栽培指導に招聘された、大阪茨木の芥子栽培・阿片抽出の阿片王と呼ばれた「二反長(ニタンオサ)音蔵」氏の著書に詳しく記されている。 『戦争と日本阿片史ー阿片王二反長音蔵 1977』

東条は里見から(阿片からの)資金の供給を受け、政界、皇族への盆暮れ貢物を送り(ある皇族には外車を送った例もあった)、要は体のいい賄賂で政界を昇りつめていったのである。要は東条に限らない。
​先に記した「里見泰啓君 奨学金基金寄付御願」発起人リストに載る、岸、児玉、笹川等も同じ穴に住む人々であったことを明確に示している。​
 用意周到な岸は、腹心今井善衛を通して知己を得た山種証券にその資産運用を任せ、資金面では自ら手を汚すことを避け、司直の手を巧みに免れたといえよう。
後に米の使嗾の下振舞うようになり、ciaの潤沢な金が届くようになった。おそらく山種証券にも私的に流れ込んだはずである。

​終戦時満州関東軍の倉庫には12トンの阿片があった(・・時価1兆円)​(佐野真一『阿片王』)​


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Last updated  July 27, 2020 10:38:12 PM
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