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「にぎわい再考」に学ぶ
冒頭に書いたように気になって仕方がなかった街の一つが高円寺という街であった。それは江東区の湾岸豊洲のように、工場群跡地の再開発によって新たに造られた街ではなく、東京という都市の発展そのままが中央線沿線に残っている街だからである。その「発展」には「何を残し」、「何を変えていくか」がわかりやすく街に現れている。 よく「住みたい街」と「住みやすい街」という2つの表現が使われることがある。前者には理想として願望が込められた表現であり、後者は現実としての住み心地の良さとしての表現である。勿論、後者の街が高円寺であり、「住み心地の良さ」として賑わいが持続している街である。以前から人を惹きつける意味として「観光地化」というキーワードで街の賑わいを学んできたが、高円寺の場合は「生活しやすさ」としての賑わいで、生活それ自体を楽しめる点にある。例えば、観光地化というキーワードに即して高円寺を表現するならば、「生活のしやすさ」がテーマとなる。デフレが日常化し常態化した時代にあって、デフレを楽しめるような街が高円寺の最大特徴になっているということだ。 残したいものと変えていくもの ここ数年「未来塾」で学ぶべき主要なテーマは、「何を残し」「何お変えていくのか」であった。俯瞰的な視座に立てば、顧客市場の変化にどう応えていくのかということと同義である。高円寺と同じ中央線に「住みたい街NO1」の吉祥寺という街がある。バブル崩壊後、吉祥寺も大きな変化を受けて百貨店の撤退や家電量販店への転換など大きく街は変化した。(詳細は「街から学ぶ 吉祥寺編」を参照してください) 吉祥寺駅北口前の一等地にはハーモニカ横丁という戦後の闇市の雰囲気を残した昭和レトロな一角がある。武蔵野市の都市計画では再開発の計画が構想されてたが、若い世代の間でそのレトロ感が素敵だと人気の観光スポットになった。それまであった小さな家電販売店などは飲食店へと転換し今日のハーモニカ横丁へと再生された。 実は同じような再生のケースが高円寺にもある。駅北口直近の青果店の裏手にある「大一市場」である。名前は市場であるが小さなL字型の横丁と表現した方がわかりやすい。古くから高円寺に住んでいた人に言わせると吉祥寺のハーモニカ横丁と同様乾物店など昔ながらの商店が入っていたとのこと。 しかし、写真のように現在ではその薄暗い怪しげな雰囲気は残ってはいるものの、ベトナム料理や焼肉店、カレー専門店などアジアの屋台料理店へと変貌したという。 その変化は2000年代始めから始まり、生麺のフォーを提供するベトナム料理の「チョップスティックス」は2003年にオープン。その支店として2014年には吉祥寺にも出店しているのも偶然ではないと思う。(ただし、場所はハーモニカ横丁ではなく、ヨドバシカメらの裏手であるが) この大一市場をテーマパーク的視点で見ていくならば、若い世代に人気の「アジアの飲食屋台村」となる。 このテーマは既ににあるものの活用であり、周知のように空き家から始まり過疎地まで多くの試みと同様である。少し前の未来塾で取り上げた大阪梅田裏の中崎町における古い民家をリノベーションしたカフェパークや空掘地区における古い家屋の移築やリノーベーションによる観光地化も既にあるものの活用である。そのとき重要なことは「どの顧客」を想定し、「どんなアイディア」を持って変えていくかである。 垣根文化の街 約8年ほど首都圏や大阪の街を歩いて感じることは、賑わいのあるところには賑わいを創る人の息遣いが聞こえてくることであった。例えば、秋葉原がアキバと呼ばれるように、それまでの電気街からアニメやコミックなどのサブカルチャーを求めて街へとやってくるオタク達によって街の表情が変わったように。あるいは、周囲を大型商業施設に囲まれた江東区の砂町銀座商店街のように、「モノマネをしない」という商人の原点ともいうべきポリシーによって「手作り惣菜横丁」とでも表現したくなる商店街には他の商店街とは全く異なるエネルギーを感じる。 ところで、以前日本固有の生活文化を「垣根文化」と呼んだことがあった。もう少し正確にいうならば、垣根というコミュニティ文化のことで 隣を隔ててはいるが、隣家の人と話ができる遮断された垣根ではなかった。それは江戸時代の長屋に似ていて、つまり、長屋という共同体、複数のファミリー の住まい方、生活の仕方にはオープンなコミュニティの考え方が色濃く残っていた。その長屋は開かれたものではあるが、プライ バシーを保ちながら、炊事場や洗濯あるいはトイレなどは共同で使い合う、そんな生活の場であった。そうして生まれたコ ミュニティ発想か生まれ育ったものが「垣根文化」で ある。 数年前から若い世代に流行り始めた「シェアハウス」はいわば先祖返りのような住まい方である。 高円寺という街を歩いて感じたことは、”この街は遮断された塀で作られたものではなく、垣根の街なんだな”というものであった。駅北口の商店街を歩いて1軒の甘味処の店頭写真を撮っていたところ、隣の店の方と思われる人から声をかけられた。昔ながらの甘味処で、甘味の他には稲荷すしなどは定番であったが、その「あづま」にはラーメンがメニューにあり、そんな珍しさの会話をしたが、ラーメンもいいけど白玉あずきが美味しいですよと勧められたことがあった。 また、前述の小杉湯を探していたところ通りがかった若い男性に道を教えてもらおうと声をかけたが、方向が同じだから案内しましょうと親切に応えてくれた。 多くの街を歩いたが、例えば谷根千の谷中ギンザ商店街や原宿竹下通りの多くの店舗では写真撮影は禁止となっている。肖像権の問題やマナーの悪い観光客対策としてであるが、高円寺はオープンな街だなと感じた。 「垣根」は互いに顔が見え、なおかつ会話ができる人間関係の象徴であるが、更に「何か」を進めていくに当たっても垣根文化の発想は高円寺の街に根付いている。その良きケースが「阿波踊り」というイベントである。「高円寺阿波おどり連協会」には30もの「連」が紹介されているが、それぞれ個性あふれる連となっている。この連という発想の源は江戸時代に生まれ、「文化」を広げ継承していく方法の一つであった。江戸時代 の都市部で広がっていた「連」は少人数の創造グループのことを指す出入自由な「団体」のことである。 江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。その組織を表現するとすれば、 適正規模を保っていく世話役はあっても、強力なリーダーはいない。常に全員が何かを創造しており、創る人、享受する者が一体であり、金銭が伴わない関係である。勿論、他のグループにも開かれていて出入自由。様々な年齢、 性、階層、職業が混じっていて、一人づつが無名である。そして、常に外の情報を把握する努力をしていて、ある意味、本業をやりながらの「運動体」であり、「ネットワーク」を持った「場」であった。 つまり、高円寺という街はこうした垣根文化の発想によって創られた街であるということだ。ここに、コミュニティ再生の良き着眼がある。 デフレを楽しむ街の意味 「デフレ」という言葉が頻繁に使われるようになったのは1997年以降である。それまでの右肩上がりであった収入が減少へと転じ、当然消費も大きな転換を迎える。その転換を劇的に促したのが「消費税5%」の導入であった。モノの価格が下がり経済全体が収縮していく悪循環を指した言葉であるが、2000年代前半東京にミニバブルが起きた時期はあったものの、今なおデフレは続いている。最近ではデフレという言葉を使わずに長期停滞とか、長期低迷といった言葉で経済を語るようになってきた。 ただ、バブルを経験した世代と平成育ちの若い世代とでは「バブル」の意味や「デフレ」の意味の受け止め方は根本からして異なる。 今から9年ほど前、この若い世代からヒット商品が生まれないことから「欲望喪失世代」と呼んだことがあった。日経MJにおけるヒット商品番付を踏まえ次のようにこの喪失世代の消費をブログに次のように書いたことがあった。 『2010年度もそうであったが、ここ数年前頭程度のヒット商品は生まれるものの、上位にランクされるような若い世代向けのメガヒット商品はほとんどない。1960年代〜70年代にかけて、資源を持たない日本はそれらを求め、また繊維製品や家電製品を売りに世界各国を飛び回っていた。そんな日本を見て各国からはエコノミック・アニマルと揶揄された。1960年代からの高度成長期のいざなぎ景気(1965年11月〜1970年7月/57ヶ月間の年平均成長率11.5%)が象徴するのだが、3C(カラーTV、クーラー、車)と言われた一大消費ブームが起きた。そうした消費欲望の底にはモノへの渇望、生活のなかに多くの商品を充足させたいとした飢えの感覚があった。国家レベルでは資源への飢え、外貨への飢え、多くの飢えを満たすためにアニマルの如く動き回り、個人レベルにおいても同様であった。1980年代に入り、豊かさを感じた当時の若い世代(ポスト団塊世代)は消費の質的転換とも言うべき多くの消費ブームを創って来た。ファッションにおいてはDCブームを始め、モノ商品から情報型商品へと転換させる。情報がそうであるように、国との境、人種、男女、年齢、こうした境目を超えた行動的な商品が生まれた。その象徴例ではないが、こうした消費を牽引した女性達を漫画家中尊寺ゆっこは描き「オヤジギャル」と呼んだ。 さて、今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「〜なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』 少々長い再録となってしまったが、生活価値観が根本から異なっていることが分かるであろう。アニマル世代である私が平成世代の消費とまともに向き合って、なるほどなと実感したのは大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある飲食街バルチカに若い世代で常に満席状態の洋風居酒屋「紅白(コウハク)」での体験であった。 周知のようにJR大阪駅ビルにおける百貨店売り場(三越伊勢丹)の失敗から、新たなSC(ショッピングセンター)として2015年に誕生したのがルクアイーレである。そのリニューアル後の変化の中で特筆すべき現象を大阪の知人から教えてもらったのが「紅白」であった。若い「離れ世代」には「コミュニケーションと場」が必要であると考えていたが、まさに「紅白」はそうした場そのものであった。欲望を喪失しているのではなく、欲望に沿ったメニューと価格帯、更にはスタイルが用意されてこなかったという実感であった。カジュアルでリーズナブルな店の象徴が「フレンチおでん」で「大根ポルチーニ茸ソース 180円」。その後、バルチカは成功し、フードフロアとして拡大リニューアルしたのは周知のとおりである。 敢えてこうした事例を持ち出したのも、高円寺の街を歩いて感じたのがこの「離れ世代」が住む街であるということであった。大阪のルクアイーレはSCとしての大きなリニューアルであったが、高円寺という街の居心地の良さに共通していることはこの「場」づくりであった。いささか日本語としては意味不明になるかもしれないが、阿波踊りの連に見られるような「出入り自由」な街、銭湯小杉湯の塩谷さんではないが新しい発想に基づく「コト起こし」ができる街、スターバックスはないが多様な好みの生活・スタイルを可能とする街・・・・・・・・そうした「転がる石」を可能にしてくれるコストパフォーマンスの良い街。少々褒め過ぎかもしれないが、高円寺はそんな転がる自由を可能としてくれる街ということになる。このコストパフォーマンスの良い街は大きな再開発事業もなかったことから、時間をかけてじっくり熟成して出来上がった街であるということだ。 行列のない賑わいの街 高円寺をスターバックスのない街という表現をした。数年前、鳥取県は自虐ネタとして”スターバックスはないけれど「スナバの喫茶店」はある”と知事自ら話題としたが、高円寺には自虐ネタとは無縁の街である。敢えて、スターバックスを持ち出したのも、単なる新しさだけの「都市」というスタイルには与しないという意味である。私の言葉で言えば、「行列のない街」となるが、地元の人たちはそれなりの行列ができている街である。つまり、高円寺以外の人たちにとって「話題」となって広域集客する、つまり「隠れた何か」を求めた観光地としての高円寺ではないということである。住んでみないとその良さがわからない街、それが高円寺ということだ。 人が集まる、そうした賑わいには必ず「行列」という形容詞がつく。今から5年ほど前に高円寺で話題となった店の一つが「たまごランチ」の天ぷら専門店の「天すけ」であった。私もそんな話題に惹かれて食べにきたことがあった。当時は「行列店」であったが、今は近隣の人たちとたまごランチを忘れられないフアンで一杯ではあるが当時のような行列はないようだ。賑わいづくりにはテーマを持った観光地化が必要であると指摘をしてきたが、地元住民だけでも十分賑わっている街の一つである。 消費税10%時代の商店街 10月の消費税10%導入に向けた軽減税率やポイント還元策&キャッシュレス推進策などの詳細が公表されるに従って、各社の対応も同時に見えてきた。人手不足や経費増大からコンビニの24時間化に対する課題もあるが、コンビニ市場はほぼ飽和状態にあることもあって、これまでの新規出店という拡大戦略から、既存店の見直しに基づくスクラップ&ビルド戦略へと転換し始めた。ちょうど数年前に牛丼のすき家が24時間店舗の閉鎖による業績悪化と、その後のV字回復の経緯を考えてのことであろう。一言で言えば、足元を今一度見直す、つまり既存店の営業時間やそれまでの労働環境の改善、あるいはシステムを考え直すというものである。(その詳細については過去のブログを参照してください) ところで街場の商店街はどのように対応すべきか個々の商店会で「売り出しプラン」などが考えられていると思う。高円寺の10の商店街を歩いて感じたことだが、「特別なこと」はあまり考えなくても良い商店街だなというのが素直な感想であった。その理由は高円寺には街場の商人、生業としての商人が商う店が多いなというのがその理由であった。そして、何故か、東北仙台秋保温泉の小さなスーパー「主婦の店 さいち」を思い出した。その「さいち」は家庭で食べるお惣菜を初めて販売したスーパーである。できるだけ人手を減らし、合理化して商品を安く提供するのがスーパーであると考える時代にあって、真逆の経営をしてきたスーパーである。思い出していただけたであろうか。過去のブログにも書いたことがあるがそのインタビュー記事を採録する。(2010年9月21日ダイヤモンドオンラインより抜粋引用) 『絶対に人マネをしないというのがさいちの原則です。マネをしたら、お手本の料理をつくった人の範囲にとどまってしまう。・・・・・先生や親方の所に聞きにいかずに、自分たちで考える。そうすると、自分がつくったものに愛情がわく。自分の子どもに対する愛情と同じです。』 さいちのお惣菜は500種類を超え、多品種・少量ということから、手間がかかり、利益が出ないのではという質問に対しは次のように答えていた。 『全部売ってくれないと困る。そのためには、「真心を持って100%売れる商品をつくるのが、絶対条件ですよ」と、言っています。うちではロス(廃棄)はゼロとして原価率を計算しています。いくら原価率を低く想定しても、売れ残りが出てしまえば、その分、原価率は上がってしまいます。』 こうした経営のあり方を私は「売り切る力」と呼んできた。人手不足の時代と言われ、今やセルフレジが導入され、数年先には特定の業種においては無人店舗でキャッシュレスという時代が来ることと思う。但し、そこには単なる必要に迫られた「売り買い」しかないこととなる。 バブル以降デフレの時代の旗手の一社であったダイソーを当時多くの顧客が支持したのは次の3つの魅力であった。 1.「買い物の自由」; すべて100円、価格を気にせず買える。買い物の解放感、普段の不満解消。「ダイソーは主婦のレジャーランド」。(現在は200円やそれ以上の商品もあるが、今なお基本は100円である。) 2.「新しい発見」; 「これも100円で買えるの?!」という新鮮な驚き。月80品目新製品導入。(現在ではもっと多く導入となっている) 3.「選択の自由」; 色違い、型違い、素材違い、どれを取ってもすべて100円。 効率さ、便利さ、売る側も買う側もこうしたことばかりを追い求めてきた時代と共に、「人」が介在することによって生まれる豊かな買い物へと、そんな体験からの揺れ戻しが始まっている。都市においても「買い物難民」は存在し、移動販売スーパーがシニア世代の人気となっている。その理由の多くはダイソーのような買い物の「自由」と「会話」を求めてのことによる。 高円寺の特徴の一つとして「安さ=お得」があると書いたが、ダイソーの「100円」を「ワンコイン(500円)ランチ」に置き換えても同じ自由さが高円寺にはある。ちなみに写真は永く地域住民に愛されてきた洋食の「薔薇亭」のメニュー看板である。写真が小さくて見づらいが、カキフライなどは1250円と学生には少し高いが、チキンカツカレーは550円とコストパフォーマンスの良いメニューも用意されている。 豊かな時代、生活の「質」が消費のパラダイム転換のキーワードとなって久しいが、実はこうした小売りの原則は商店街にこそ求められ、そして応えることが商店街の明日を創っていくことになる。3年半ほど前に「未来の消滅都市論」を書いたが、消滅に向かう入り口は人口減少にあるのだが、その予兆は商業に見事に現れてくる。そうした意味で、高円寺という街はコミュニティ再生のモデルケースになっている。多くの人は「消滅」をすべて人口の流出にあると考えがちである。しかし、実は「流出入」という出入り自由な街、阿波踊りの連に見られるような「自由」を楽しむことができること、このことこそがコミュニティ再生の鍵となっていることがわかる。10月に導入される10%の消費税に対し「特別なこと」は必要ないとしたのもこうした理由からである。つまり、高円寺にはこの増税という壁を越える顧客への「自由」と「会話」が根付いている街だからである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.24 13:22:02
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