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2021.01.03
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カテゴリ:ビジネスブログ

ヒット商品応援団日記No775(毎週更新) 2021.1.3.




新年明けましておめでとうございます。

年末31日の新型コロナウイルス感染者が東京では過去最多の1337名となり、マスメディア、特にTVメディアは元旦早々大仰に取り扱っている。それほど驚くことではないと思うが、TVメディアのように「驚かせない」と視聴率ビジネスにならないため仕方がないことだとは思うが、どこか違うと言う思いからこんなブログを書くこととなった。

昨年12月のブログ「ヒット商品番付を読み解く」にも書いたが、コロナ禍に暮れた1年間であった。2020年1月元日産自動車会長のカルロスゴーンの逃亡劇から始まった年は1月末には終わり、世界中のマスメディアは新型コロナウイルスの感染記事で埋め尽くされる。2月に入り3711人の乗員乗客を乗せたダイヤモンドプリンセス号内で新型コロナウイルス感染症の集団発生がら以降単なる情報としてのそれではなく、身近な日常生活に浸透することとなった。

正月早々重苦しい問題を書くことになるが、タイトルの「登山の思想を考える」とは、作家五木寛之が書いた「下山の思想」にある「下山」のもう一方である「登山」の思想を考えてみたいと考えたからである。何故、今「登山」なのか、それは時代をこれから登っていく若い世代について考えてみたいと思ったからである。

五木寛之は日本の今、成熟した日本を山を下る下山から見える景色と捉え、その時代の生き方を慧眼を持って書いたものである。そこまでの知恵には遠く及ばないが、もう一つの道「登山」について気になって仕方がなかったからである。昨年後半盛んにマスメディアが報じたことの一つが、「若い世代」にはコロナ危機が伝わらないという一種の非難であった。その裏側には新型コロナウイルスの恐ろしさへの無理解があり、感染しても無症状もしくは軽傷者がほとんどであることから、感染拡大に加担しているのではないかという疑義から生まれている。

実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解していると考えることが必要と私は考える。それは昨年3月以降の報道を始めメディアを通じて流される情報・内容の変化、若い世代にとっては情報の「いい加減さ=実感を持ち得ない理屈だけの言葉」に「大人」は気づいていないという断絶があるということだ。

季節性インフルエンザとまではいかないが、彼らにとって「恐怖」としてのパンデミックではない既知のウイルスに近い認識を持っている。私は消費を通し、この若い世代を常に注視し分析してきた。今から10年ほど前になるが、この世代について次のようにブログに書いたことがあった。

『今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

この若い世代が集中しているのが東京である。自粛要請が盛んに報じられた昨年11月~12月の時期、渋谷をはじめとした場所の「人出」調査をみても増加しており、新規感染者と人出は相関していることがわかる。11月医療崩壊の危機にあった札幌・旭川や大阪市は営業時間短縮やGoToトラベルの中止により感染拡大は治りつつある。しかし、東京の場合政府も知事もいくら自粛してほしい旨をアナウンスしても「人出」は減少することなく増加の傾向すら見せていた。既に検証活動に入っていると思うが、札幌はススキノの飲食街(ほとんどが飲食ビル)に対し休業あるいは営業時短要請をしており、この結果が感染者の減少につながっていると報告されている。ただしススキノの飲食街はゴーストタウン化しており、1/3が廃業・倒産状態であるという事実もまた忘れてはならない。(旭川の場合は主に病院クラスターの発生によるもので収束しつつあるとのことのこと。)同じような対策を採っている大阪の場合は高齢者の人口比率が高く、重症者が多いことから医療危機が叫ばれたが、元々専門家会議など対策の論議は全て情報公開されており、府市民の理解賛同も多く、若い世代への抑制もある程度うまくいきつつあり、若い世代の新規感染者も減少傾向にある。大阪の場合飲食店の時短は夜9時までだが、大阪の友人によればススキノと同様大阪の銀座と呼ばれている北新地では既に3割ほどの店が廃業状態でありここでも大きな痛みがあるとのこと。

問題は増加傾向すら見せている東京で、地方への感染流出の源をどうするかである。つまり、「登山」途上の若い世代にどうメッセージを送るかである。大人の下山発想ではなく、「登山」と感染防止ということをどれだけ明確にできるかということである。それは厚労省も感染の専門家も特にTVメディアは今までの「情報」の内容や出し方の反省の上で対応すべきであろう。

前述のブログで二十歳の老人とネーミングしたのも、若い世代にとって決定的に足りないことは「経験」という実感であった。当たり前のことであるが、情報的には老人の如くであるが、実感できるものは周りにはほとんどないのが現実である。昨年末の累計感染者数は約22万人、死者数は約3300人。若い世代20~34才人口は約2035万人。周りを見ても感染者はほとんどいない、ましてや亡くなった人はTVのニュースで見るだけで実感がない世界であるということだ。ましてやこれまで報道されてきた情報、若い世代のほとんどは軽症もしくは無症状であると。さらに言うならばこれまで報道されてきた情報、例えば春先報道されてきた「このままでは42万人の死者が出る」と言った厚労省クラスター班の西浦教授の報告も数理モデルとはいえ、あまりにも現実感のない情報であったことを彼らは熟知している。(後日西浦教授は訂正のコメントを出してはいるが、マスメディアはそのことすら報道することはない。)

つまり、コロナ禍は現実感が決定的に乏しい出来事ということだ。もっと簡単に言えば、「他人事」ということである。

何故大人と若者という図式でコトの本質に迫ろうとするのかは、現実社会は人口のみならず圧倒的に大人世界・大人的情報に埋め尽くされているからである。唯一大人の世界から離れることができたのはエンターテインメント・娯楽の世界であろう。メディア、特にTVメディアは既成としての大人の世界でしかない。もっとわかりやすく言えば、高齢者を視聴者にした番組ばかりである。既成のTV番組でいくら「自粛」「自省」を促しても、そこには若い世代はいない。メッセージが届くはずもないということだ。ただひたすら高齢者に恐怖を煽ることだけに終始することとなる。その若い世代はネットによる情報収集ということにもなるが、ネットの世界においても例えばYahooニュースは中高年世代であり、それより下の世代は既成の「ニュース」に興味を感じることはない。新聞情報などは論外である。情報は「仲間内」での情報交換、SNSによる入手がほとんどとなる。ちなみに最新の日本におけるSNSユーザー数は以下となっている。

LINE 8,600万人

YouTube 6,500万人

Twitter 4,500万人

Instagram 3,300万人

Facebook 2,600万人

ところで何故「人出」が減らないのか、その理由は大きくは2つある。一つは昨年夏にいささか刺激的なるなタイトルだが「密を求めて街に向かう若者達」にも次のように書いた。

『「バランス」が取れた誰とでもうまく付き合うゆるい関係、空気の読める仲間社会を指し「だよね世代」と私は呼んでいたが、もっとわかりやすく言えばスマホの無料通話ソフトLINEの一番の愛用者である。そもそもLINEは「だよね」という差し障りの無い世界、空気感の交換のような道具である。オシャレも、食も、旅も、一様に平均的一般的な世界に準じることとなる。他者と競い合うような強い自己主張はない。結果、大きな消費ブームを起こすことはなく、そこそこ消費になる。そして、学生から社会へと、いわゆる競争世界に身を置き、それまで友達といったゆるいフラットな世界から否応なく勝者敗者の関係、あるいは上下関係や得意先関係といった複雑な社会を生きる時、そうした仲間内関係から外れることを恐れ、逆にそれを求めて街へ出る。今のコロナ禍の表現をするならば、「密」な関係を求めて、東京へ、街へ、出かけるのである。』

つまり、街は仲間と集い合う心地よい居場所であるということだ。その居場所には、常に新しい、面白い、珍しい「変化」があり、刺激を与えてくれる魅力的な場所ということである。下山、登山の例えで言うならば、街は登山途中の休憩場所であると同時に都市の持つエネルギーを補給する場所ということでもある。それは今に始まったことではなく、1990年代から始まっており、東京ディズニーランドと共に渋谷109が修学旅行先に選ばれたように、都市観光化は始まっている。東京都は緊急事態宣言として5月末「東京アラート」を発動し、7色のレインボーカラーのレインボーブリッジを赤に点灯した。結果、どういうことが起きたか、お台場には見物客が多数集まり、つまり皮肉なことに東京の新たな観光スポットになってしまったということだ。

コロナ禍によって密を避け入場者の制限はあるものの、スポーツや文化イベントは数え切れないほど開催されている。東京の人口は約1400万人弱と言われているが、鉄道や道路によって繋がっており、埼玉、神奈川、千葉を含めれば3500万人となり、日本の人口の約30%を占める巨大都市である。

昨年春の未来塾の第一回目に「正しく、恐る」をテーマとしたが、この若い世代にとって「正しく」の認識は「感染しにくい、感染しても軽症で済む」と言うのが彼らの基本認識である。世界に蔓延する感染者数についても1日数万人というニュースが毎日報道されるが、日本の場合増加する第三波の感染者数は全国では昨年末1日3600人、死者数59人という情報との比較をすれば一桁少ない数字であり、彼らにとって「正しい」事実ということになる。

また彼らを受け入れる都市商業、特に飛沫感染が多いとされる飲食店はどのような認識でいるかである。厚労省の専門家会議においても明確な根拠、科学的な分析に基づくものはないが、営業時間の短縮によって感染拡大は防止できるとされている。

その飲食店については、東京の場合政府の緊急事態宣言に基づき、昨年4月11日以降居酒屋を含む飲食店、料理店、喫茶店などは営業時間の短縮として5時から20時までの間の営業とされた。以降、東京独自に飲食店の時短要請を行うこととなる。勿論、感染拡大防止協力金が一定程度支払われるのだが、正確なデータは公表されていないので分からないが、次第に要請に協力する飲食店は減少していくこととなる。12月に入り、全国知事会議では神奈川では協力してくれる飲食店は2割ほどで、東京も同程度と考えられており、その実効性が問われる事態となっている。

つまり、若い世代にとっても、一方の飲食店側にとっても、「感染」の明確な根拠がないまま「要請」という名において各々の行動が中途半端になされている、

今、政治においては特措法の改正へと向かっており、休業などの保証の制度化は必要ではあるが、問題の本質は休業にせよ、時短にせよ、どれだけの感染防止に役立ったかというエビデンス・根拠を明らかにすることである。特措法だけでなく、さらに悪化すれば再度緊急事態宣言が発出すべきとの意見もあるが、飲食店だけでなく日本経済はそれこそ壊滅的な打撃を受けることは間違いない。

ジャーナリストは口癖のように「危機管理は最悪のことを想定して」と言う。そのこと自体は一般論として間違ってはいないが、「最悪の事態」を英国や仏、米国NYの事例を持ち出し、「最悪」と言う恐怖を刷り込むことへと向かっているように見える。しかも、欧米のように強制力を持ったロックダウンをすべきとの意見も出てきている。ロックダウンすれば一時的には感染が防止されるとは思うが、今まで何回ロックダウンしてきたかである。ロックダウンは魔法の杖ではない。日本の「大人」、特に高齢者には効き目があるかもしれないが、若い世代にとっては効果は期待できないと私は考える。

昨年一年問題と感じてきたことはコロナ禍に関する「情報」の扱い方であった。新聞報道はまだ客観的な冷静さを保持していたが、TVの情報の伝え方はある意味異常である。視聴者の興味関心に応えることは必要ではあるが、コロナ禍の情報を一部TVメディアはエンターテイメント・娯楽にしてしまったことである。民法TV局は視聴率商売とはいえ、時に「脅し」に似た情報を流し、時にワクチンのような「安心」の情報を流す。「危機」をテーマとするならば、危機を娯楽にしてはならないと言うことだ。

さて、その若い世代とどう付き合うかであるが、良きサジェッション事例がある。今年も沿道での観戦はできないが、正月恒例の箱根駅伝が開催されている。今年は苦戦しているが、駅伝の常勝チームに導いた青山学院大学陸上部監督原晋氏はいくつかのインタビューにその「つきあい方」について答えている。実は原監督が就任した当時は全くの弱小チームで「自立的に成長していく」という理想としては程遠い状態であったと。そこで「僕は組織のトップに君臨する指導者として、細かなことまで手取り足取り指示出しし、ときには厳しいことも言いました。」つまり、今日で言うところの教える・ティーチングの手法を採ったと答えています。結果、辞めていく学生も多かったとも。しかし、徐々に力をつけていくに従って、「教えること」は少なくなり、選手達の自主運営に向かって行く。そして、次に行ったことは長期的な未来志向へと移っていく。その未来志向とは「この組織は何のために存在するのか」「10年後、20年後に自分たちはどのような姿を目指すのか」といった長期的なビジョンをメンバーと十分に共有することでると答えている。これは今日で言うところのコーチングの手法である。

また今回のコロナ対策についても多くのスポーツ施設や寮が閉鎖される中、陸上部の寮を続け練習も行なってきた。原監督は当時の3月下旬3つの選択肢を考えている。(1)閉寮(2)一部を残し運営(3)全員で乗り切る」。そして「練習は公共交通機関を使わず、走って通うので不特定多数との接触はない。食事の確保も可能」とし、(3)の決断を下したとも。と言うのも監督就任時から徹底した「自己管理」を行い、16年間感染症の流行は一度もなかったとも。

コロナ禍にあってティーチングとコーチングという方法を考えていくことも必要ではあるが、原監督を始め多くのリーダーは一人ひとりの選手を信じて対話していると考える。リーダーに求めることの第一は「信じる力」を持ちえるかどうかである。そして、その対話は「何故なのか」その理由・根拠を明確に伝えることしかない。強制力を持った特措法が議論され始めているが、休業や時短への補償などについては議論すべきであるが違反者への罰則という強制はしてはならない、

正月2日、首都圏の4知事は政府に対して緊急事態宣言の発出を求めるとの報道があった。どの程度の規模となるのか検討されていくと思うが、その前にやることは「大人」が若い世代、登山途中の世代を信じることだ。問われているのは「若い世代」ではなく、「大人」自身ということだ。そして、昨年春の緊急事態宣言によってどんな効果があったのか、大型商業施設の時短や休業を始めスポーツや文化イベントの自粛などどんな効果が得られたのか。時差出勤やテレワークの効果はどうであったのか。そして、飲食店などではどうであったか。北海道札幌、大阪などは感染の減少もしくは増加の歯止めがが見られている。そうした工夫や知恵、方法について4知事はどう受け止めてきたのか。厚労省専門家会議は感染の中心は20代~50代とし、その対策が急務であると訴えている。「答え」が得られないままであれば、「人出」が減少することはない。未知のウイルスから、既知のウイルスへと向かい、密を避ける日常を送ってきた。この1年間多くの経験を積み自らセルフダウンしてきた生活者がいることを忘れてはならない。(続く)






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Last updated  2021.01.03 12:53:57
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