2006/05/12(金)15:25
恥じらいのない中高年
それはあまり目にしたくない光景だった。しかし、みたくないと思えば思う程、目がそちらにいってしまうものらしい。いつだったか、通勤電車のなかで飲酒をする中高年が目立つといったことをブログに書いたことがあるが、今度は電車の中で漫画本を貪り読む中高年について触れてみたい。飲酒とはちがって、漫画本を読んで人に迷惑をかけることはありえない。高鼾のむさいおっさんより、おとなしく漫画を読んでいる中高年のほうがいくらましか知れないのは事実だろう。
昨日は私用により少し早い帰宅となった電車で、見ず知らずのつるっぱげのおっさんと、真っ白けっけの親父の生態を観察する羽目になってしまった。つるぱっげにも白髪にも小生はまったく興味はないのだが、彼らがあまりにも漫画本に熱心に目をやる様が気になってしょうがなかったのだ。もしかすると、還暦はとっくに越えているように見えた2人が人目を気にするするでもなく、無論、悪びれた様子もなく、ある意味、熱心に漫画本を精読する様は異様であり、少し腰が引けてしまうほどだった。
このところ、教育関係の役所や権威の象徴のような大学者が小学校低学年からの英語教育の必要性を説く一方で、日本の誇りを再認識すべく国語の重要性をとく議論が対立する構図を様々なところで目にするようになった。小生も英語よりも国語教育の重要性を強く認識している人間の一人として、この議論を歓迎していた。その言語的性格において、日本語と英語にはあまりにも隔たりが
ありすぎるので、英語を学ぶ努力と時間に反比例して、学ぶ者の国語力が減退するのではないかとも心配しているほどだ。
しかし、昨日の光景を思い起こすと、その様な議論をする前に、現代人の国語力とか品格とかについて再考すべき点があるのではないかと考えてしまう。小生もかつてはかなりの漫画愛好家であった。しかし、就職した時、先輩からの教訓により、人前で漫画読むことはなくなった。大人としての企業人の第一歩は、いったん、スーツを着用したならば、誰からも馬鹿にされないだけの立ち居振る舞いをしなければならないということだった。
漫画を読んで誰に迷惑をかけることもないのは事実だが、社会の範たるべき
年令の人たちが取るべき行動としていかがものかと考えてしまった。