土佐一人新聞

2017/02/04(土)07:34

新聞配達所が変わった

生活(3586)

  この2月1日から、高知新聞の配達所が変わった。須崎市の一部を配達している新聞集配所であり、変わるのは、時々ある自然の流れで、別に問題ないのだが、どうも私には、目覚めの良くない夢を見たような感じなのです。   気分の良くない理由を説明すると、1昨年9月、我が部落の新聞購読者10名だけの配達を請け負っていた近所のS叔母ちゃんが、病気になった。この叔母ちゃんは配達所から、少々の報酬を貰って、受け取った新聞を部落内だけに配っていた。 だから、緊急事態の対処として、私が集配箱を作って、其処に一括で新聞を入れて貰い、10名がそれぞれ、その箱に取り行く様にした。  それはそれで良い案なのだが、その後、私と配達所のバトルがあった。私は、S叔母ちゃんに払って居た経費を、10名に振り分けて呉れるモノと思って、箱を作ったのだ。  だけど、集配所は、もう既にギリギリの経営だから、それは出来ないと言う。そして「許して欲しい。」とまで言われた。 だけど、私としては、納得が出来なかった。今の新聞は各家庭に配っての値段である。自分で取に行く以上、そのコスト分を単価で差し引くべきで、S叔母ちゃんに払っていた分は我々に還元するべきと、譲らなかった。  そしたら結局は、我が部落は、配達所が、直接個々に自宅まで配って呉れる事になった。そんな事件が有っての1年5か月の後で、急に配達所が変わったのだ。つまり、揉めた集配所が廃業し、新しい配達所が出来たのだ。  まるで私が、元の配達所の廃業に対して、トリガーを引いたような形になった。これは誰だって気になる。 これからは、新聞の経営地獄に入る時代である。何故なら、インターネットの発達で、購読者が劇的に減っているのです。  新聞だけでなく、全ての出版物は、そうなっている。本もドンドン売り上げが減っているし、パソコン音痴の私でも、アマゾンで本を買う時代だ。アマゾンの本の売り上げが、日本で既に2割に達しているそうで、それだけ既存の本屋の売り上げが減っているのです。  元の集配所は、息子の代になっており、もう2代も遣っており、それでも新聞配達の廃業を決めたのだから、余り良い所得では無かったのだ。そんな時に、そのトリガーを私が引いたのかも知れないから、何か嫌な気がする。  そして、このニュースをブログに掲載する為に、私が1昨年前に作った集配箱の写真を撮りました。  結局、この箱を利用したのは、2か月ぐらいで、集配所が個々に配って呉れる様になったのだ。 そして、この箱はもう1年以上使っていないが、作った時、1万円を貰ったから、もう私のモノでなく、元の集配所のモノだが、元の配達所が取り除く事は一切遣らない。  どうせ、今後もそのままである。10年、20年後に腐って行くのだが、作った私が処分すべきかどうかである。  女房は、元の集配所に連絡してから、廃棄するべきと言うが、私は、集配コストで揉めたから、2度と話し合いはしたくない。 としたら、どうなるのだろうか? 何時までもこれから邪魔な不必要なモノとして、此処に残すのも、見っとも無いし、集落の皆は、私が処分するべきと思うだろうし、困っている。  この様に、ゴミの集積所に取り付けた。  蓋を開けると棚にして、それぞれの棚に、10名の名前を書いている。

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