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カテゴリ:国際問題
画面を見ながら、色々なゲームをする事らしい。これをスポーツとして、将来はオリンピックの一種目にしようと言う運動もあるようだ。しかもアジアの何かのスポーツ大会には、今年からEスポーツとして参加するそうである。 私にはこんなモノをスポーツとは思えないが、要はスポーツの定義だろう。目も耳も指も使うし、60分の1秒差で、勝ち負けが決まるとテレビで言っていた。まあ、色々な意見があるものだ。あんなゲームがスポーツだろうか。私はスポーツとは思わない。 それがスポーツなら、トランプやカルタや将棋や囲碁も、腕と指と目を使うし、スポーツに入る。特にオリンピックは、色々な競技がドンドン増えて行き、大きく成り過ぎて、困っているのだから、縮小をするべき時代に入ったのではなかろうか。 其処で私の大胆なスポーツ定義の意見だが、恐らく余り賛同者は居ないと思うが、「大きく体を動かし、勝ち負けが、ハッキリとしたモノとする」としたら良いのでは。 実は昔から感じていたのだが、審査員が点数を出す競技が結構ある。審査員の主観で、点数は結構差が出るから、個人の微妙な審美観の差で勝ち負けを決めるには、余り良いスポーツとは思えないのです。 スケートでもスピードを争うのは良いが、美しさを体で表現するのは、スポーツには違い無いが、勝ち負けを争うのは、どうも変だ、と言う意見です。体操もそうだ。審査員に寄って、評価に差が有る。 それでも順位決定するスポーツとして維持するなら、少数の審査員でなく、今は一瞬で、大勢の評価を出せるのだから、その競技を遣っている数百から数千人の総合評価で、勝ち負けを出すべきでなかろうか。そして出場選手の国の人は一人も審査団に入らない様にするべきだ。 それにしても、例えば、桜が咲いたが、どの桜が一番綺麗かを争う様なもので、勝ち負けの問題にするべき競技では無いと感じている。勝ち負けのハッキリした競技だけの方が良いのかも知れない。私の考えが変なのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.07 06:53:58
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